「雌伏10年」AIのトップランナーになった男 世界で認められたエンジニア、矢野和男氏
このような意味で、日立の持つリソースや販売チャネル、顧客基盤は極めて重要だ。『H』というイノベーションには、日本を代表するコングロマリットの強みが鮮やかに刻印されている。
ルールに縛られた世の中を変えたい
今、矢野は次世代のAI創出に向けて、研究開発を加速させている。一例を紹介すると、2017年12月に発表した自己競争型のAI技術がある。
「AIを動かすために、どの程度のデータが必要か。今後のAIを考える上で、重要なポイントだと思います。過去のデータが必須なら、新しい分野ではAIを活用できないことになります」
AIとビッグデータはセットで語られることが多い。しかし、必ずしも常にセットとは限らないようだ。矢野らのチームはAI群同士がコンピュータ上で自己競争を行う環境をつくり、人が用意した実績データなしに、サプライチェーンの課題解決に寄与できることをシミュレーションで確認した。サプライチェーンの発注に関して、人の判断に比べて、在庫や欠品による損失を4分の1に抑えることができたという。
「ビジネス課題を与えたAIが、データなしでも機能することが分かりました。しかし、データが不可欠な分野、データに依存しない分野の境目はまだ不明確です。両者の線引きを明らかにして、AIがデータなしにできることを増やしていきたいと思っています」
こうした取り組みの先に、矢野が見ているのは社会の多様性や柔軟性を支えるAIの姿だ。例えば、同じ小売チェーンの店であれば、A店とB店の品ぞろえはほとんど同じというのが普通だろう。商圏の顧客層に応じて品ぞろえを大きく変えると、オペレーション効率の低下を招くことが懸念されるからだ。進化したAIを導入すれば、顧客層の属性や嗜好に合った多様な店舗を効率良く運営できるようになるかもしれない。
「フレデリック・テイラー以来、ベストプラクティスを標準化して横展開するというスタイルが世の中に浸透しました。それが、社会の豊かさにつながったことは確かでしょう。しかし、結果として標準化とルールに縛られる世の中になった。もちろん、ルールが必要な対象はあります。しかし、ルール以外に頼るものがなく、やむを得ずルールを維持している分野も多いはずです。そんな世の中を変える可能性がAIにはあります」
矢野が追求するのはAIそのものではなく、その何段階か先にある、人々が幸せに暮らす社会である。そのためにAIが貢献できると信じるから、AIを研究している。「ほかに方法がないからと諦めているけど、ルールに頼らない方法がAIとデータで実現できる可能性があります。ルールに縛られた杓子定規の考え方を壊し、人間の多様性を讃えたい。それが、私がやりたいことです」と矢野は言う。
半導体の研究に没頭していたころ、世界の最前線に身を置くことの喜びを実感した。一方で、矢野は物足りなさも感じていたという。「半導体は部品なので、なかなか全体が見えにくい」からだ。「全体」とは商品の全体像であり、半導体を用いた商品群が形づくる社会像である。
10年以上にわたるAIとの関わりを通じて、矢野は社会を俯瞰する視座、人間とテクノロジーを深く考察する喜びを得た。半導体時代に感じた不全感を埋めるには、十分すぎるほどのものだろう。
(取材・文/津田浩司 撮影/竹井俊晴)
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