3200億円ファンドを運用する男の意外な財布 長期運用のカリスマが考えるおカネの使い方

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「17歳のときに工場を経営していた父が他界し、莫大な借金を抱えてしまったんです。なんとか高校・大学を卒業して松下電器に入社しましたが、給料だけではとても返済しきれない。それならということで、スイスに渡ったんです」

現在71歳の澤上氏が渡欧した1970年代当時、欧米の給与水準は日本の10倍近くも高かった。同氏はまずスイス・ジュネーブの国際問題研究所のドクターコースに学生登録したうえで、地元の新聞に「日本人のドクターコースの学生がアルバイトを求めています」という広告を打つ。出稿費用は3万円ほどだったが、一学生の身には決して安い金額ではなかった。

入社から4年で借金を完済、そして・・・

ただ、そのかいあって世界トップレベルの投資運用会社、キャピタル・インターナショナルから声がかかる。投資運用に関する経験も興味もまったくなかったが、アルバイトとして1日2時間・週10時間働くだけで松下電器時代の給料を超えるという好待遇だった。そして、これが後に続く氏の輝かしい投資家人生の起点となる。

「当時のキャピタル・インターナショナルにはものスゴい社員がたくさんいました。彼らになんとか近づきたくて、毎日15~16時間、土日もなしに働きまくったんです。会社には『報酬は1日2時間分だけでいいから、ずっといさせてくれ』とお願いしました(笑)。すると3カ月も経った頃、逆に会社から『社員になってくれ』と言われて正式に社員になりました」

最初は下働きだったが、寝食を忘れて働くうちに、気づくとアナリスト、ファンドアドバイザーと出世を重ねていった。そして入社から4年も経たないうちに、なんと家の借金は完済していた。さらに、そこでは長期投資の運用術、という大きな「財産」を手にした。

キャピタルで5年間働いた後、日本に帰国。多くの会社から声がかかる中で山一證券に嘱託として入り、世界の富裕層相手のビジネスを4年務めた後、1979年にプライベートバンクの世界的な名門、スイス・ピクテ銀行の日本代表に就任する。ここでは、超富裕層を顧客としたプライベートバンキング事業や機関投資家ビジネスに携わった。

そして1996年に独立し、さわかみ投資顧問を設立。1999年8月には念願だった長期運用を基本理念とした個人投資家向け投資信託「さわかみファンド」の運用を開始する。しかし、このさわかみファンドが、若き日の借金を遥かに超える“大借金”を生み出すことになる。

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