20代は「何のために仕事をするのか」と考える 部下の素朴すぎる質問にどう答えるべきか
つまり、我々オッサン世代以上の人間にとっては、働く理由とは「誰かが自分にそれを期待してくれたから、それに応えたい」ということでした。中国の故事の言葉にも「士は己を知る者のために死す」というものがありますが、そんな気分でしょうか。期待をかけてくれるということは、自分の価値を認めてくれるということであり、それに応えるのが仕事人というものだと。
そういえば、「働くとは傍(はた)を楽にすることである」というようなオヤジギャグ的訓示もよくありましたが、これも同根で、以上はすべて「働く理由は誰かのため」という利他的な考えがベースになっています。
最近は自分にとっての「モチベーション=動機」を重視
ところが最近では仕事をする理由で、motivation(動機)という言葉の方がよく使われるように思います。動機には、「内発的動機」と「外発的動機」があり、前者は、対象の持つ面白さや重要さなどから自然にやる気が出てくるという動機、後者は何かをすると何かをもらえる(インセンティブと呼ばれたりします)ことでやる気が出てくるという動機です。
いずれにしても、「動機」とは「自分にとってのやる意味があるかどうか」「自分に対するどういう報酬によってやる気が出るのか」ということであり、上述の利他的な「使命感」という言葉と違って、(別に悪いことだと言いたいわけでは決してありませんが)相対的には利己的な匂いのする言葉です。
「利他的なオッサン」と「利己的な若者」の単純な構図で考えてはいけない
もちろん「使命感」も「使命を授けてくれた人に認めて欲しい」という承認欲求ではないかと言ってしまえば、motivationのひとつ(特に外発的動機)だと言ってもよいかもしれません。しかし、言葉の使われ方を見ると、坂本龍馬の有名な句、「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」というのが使命感で仕事をする気分であり、誰かの期待に応えると言っても、別に褒めて欲しいわけではない。
悪く言えば、ある種勝手な自己満足、良く言えば、誰からも見返りを求めない自己犠牲的な感じがします。やはり、「使命」=「利他的」、「動機」=「利己的」な印象は否めません。では、最近の20代、若者たちは利己的になったが故に、本稿のタイトルのような疑問を発するようになってしまったのでしょうか。そんな単純な問題ではないと、私は思います。