「金鉱山」に殺到する女性たちの何もない生活 経済的自由やチャンスがそこにはある
アフリカでの金鉱採掘は評判が悪い。特に女性に焦点をあてるとなおさらだ。この職業はほとんどの場合貧困、環境破壊、売春とハラスメントと直結している。しかし、世界で最も貧しい国であるマリの金採掘地帯では、このような見方は、男たちと肩を並べて採掘する女性たちにとっては大変不当なものでもある。
金鉱で働く女性がまず口にするのは、その過酷さと不確かさだ。最近マリに渡航した際に彼女らの何人かと話したが、彼女たちは数グラムの金を見つけるために岩を掘り動かすことの危険さをよく心得ていた。
金銭的自立と力につながる
しかし、そこで彼女たちが稼ぐカネは女性たちに金銭的自立と力を与える。それは村に居残り、彼女たちの夫の農園で働くことでは到底手に入れられないものだ。欠点はあれども、ローテクな職人的採掘は、ほかのほとんどのものからは期待できないほどに彼女たちに力を与えている。
それはただおカネが必要で、その手段が限られているということだけではない。重要なのは、彼女たちが得ているカネの出どころだ。それは父親のものでも夫のものでもない。彼女たちのものであり、これは女性がいまだに家族とともに住む村に従属している国では、大きな意味を持つのである。
女性はマリの金鉱採掘場の全従業員の約半数を占めるほどになっている。この比率は、ほかのアフリカのサハラ以南の地域とさほど変わらない。マリの南西に位置するケニエバの採掘場、あるいは周辺で、筆者はブルキナファソ、セネガル、ギニアなどの隣国からやってきた女性たちに遭遇した。
こうした国では、女性の土地、あるいは労働における権利はマリと同等である。西アフリカの多くの女性たちが金鉱採掘者の仕事を探しているのであれば、研究者と政策立案者たちは、これを新たな生活様式の1つだと受け入れ、土地の権利と採掘職人とのつながりを理解するよう努めるべきだ。マリにとって採掘業がちゃんとしたおカネや雇用を生み出す数少ない産業になっているのであればなおさらである。