事故物件サイトを作った男の譲れない使命感

「大島てる」は訴えられても脅されても続ける

2009年9月。サイト開設からちょうど4年が経った時、編集者、漫画原作者などで活躍している竹熊健太郎氏が、自身のブログ内でサイトを紹介した。その後、ネットニュースでもサイトが紹介され、ヤフーニュースのトップになった。

「アクセスが集中しサイトのサーバーがダウンしました。当時は不動産業界からの圧力に屈したと言われましたが、圧倒的なアクセス数があったから落ちただけでした。

きっかけをつくってくれた、竹熊健太郎さんには本当に心から感謝しています」

そこからは順調に知名度を上げていった。

その後、ツイッターのアカウントを作ったり、事故物件のイベントに出演し始めたりしたが、一つひとつの新しい動きを大勢に周知させるのは、本当に難しいことだと身にしみて感じている。

年々サイトの規模は拡大している。

有名になるにしたがい、大島さん自身もメディアに登場することが増えていった(筆者撮影)

2011年には運営側が一方的に情報を提供するサイトから、投稿サイトに移行した。対象地域は、当初は関東だけだったが、日本全国になり、全世界に広がった。サイトが有名になるにしたがい、大島さん自身もメディアに登場することが増えていった。

「家業の不動産業から撤退することにしました。サイトで儲かったから不動産業はいらなくなったというワケではありません。事故物件サイトを運営しながら不動産業にも携わっていると『どうせ自社の物件は載せないんでしょ?』と疑念を持たれます。利益相反の問題からも辞める必要があったんです」

もともとは不動産業のために作ったサイトだったが、結果的にサイト運営が本業になった。ただ不動産業界では早くから大島てるの名が知られていたため、

「大島てるが手放したい物件ならやめておこう」

と思われてしまい、なかなか買い手がつかなかったという。もう不動産業にはまったく労力をかけていないが、いまだに処分できていない物件もある。

有名になったため、攻撃の対象になるケースも

サイトが有名になったため、攻撃の対象になるケースも発生した。

あるマンションの地権者から「名誉毀損」だと民事裁判で訴えられた。サイトから情報を削除することと、謝罪広告を出すことと、100万円以上を払うことを求められたが、大島さんは応戦した。弁護士をつけずに自分自身の手で訴訟を進めた。

「私には引くという選択肢はありませんでした。そして、戦わずして勝つのではなく、戦って勝って相手を潰さなければなりません。そうしないとほかにもまねして訴えてくる人が現れるからです」

裁判は大島さんの完全勝訴で終わった。

次ページ以降、裁判で大島さんを訴えてくる人はいないが…
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