脳梗塞で人生に絶望、何が彼を救ったか? 介護とは「生きててよかった」瞬間の創造だ

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その翌週、介護職はAさんを連れて、その新橋の店(居酒屋)に行きました。たまたま、女将さんが店の外で片づけをしているところに到着しました。そのとき、女将さんは、目をまん丸くしてAさんを見たそうです。女将さんは、Aさんが体調を崩し、そのまま亡くなったと聞かされていたからです。少し時間が経つと、その店に、古くからの常連たちがやってきました。そして皆が「生き返った」Aさんに驚き、尽きない談笑を楽しんだのです。

そんな具合にして、Aさんは、自分の状態に合わせた生き方を少しずつ見つけていきました。日々、生活に必要な動作も反復していましたので、体の動きも退院当時よりもずっとスムーズでした。そして、神輿を担ぐことについて介護職とじっくり話をするようになったのです。

Aさんは、本音では神輿を担ぎたいと思っていました。しかし、神輿を担ぐことはそんなに甘くありません。そしてAさんは、自分が無理やり担いでも、かえって周りに迷惑をかけるだけと、神輿をあきらめていました。

しかし「あきらめることは後でもできます。とりあえずできる一歩を踏み出しませんか」という介護職の誘いに、Aさんはついに腹をくくります。

9カ月のリハビリに励み・・・

ターゲットとしたお祭りの日まで、9カ月の時間がありました。リハビリを担当する別の介護職(正確には作業療法士)が、段階的に3カ月間のメニューを作り、それを実行することにしました。こうして書くと簡単なことのように思えますが、Aさんとしては、精神的にもかなり厳しいリハビリになりました。

いきいきと神輿を担ぐAさん(写真:筆者提供)

いよいよ神輿を担ぐ前日となり、Aさんの気持ちも高ぶってきました。担ぐ前に神輿を見てみたいというAさんとともに、祀られている神輿を見ていたときです。Aさんに声をかけてきた男性がいました。その男性は神輿会の前会長で、なんと、Aさんの小学校時代の同級生だったのです。現会長さんからAさんのことを聞きつけ、Aさんに声をかけたとのことでした。久方ぶりの再会ではあったものの、すぐに打ち解け、お互い励まし合っていました。

当日、拍子木の合図で神輿を担ぎ上げ、そこにAさんが加わります。事前の取り決めでは3分程度と言われていたのですが、もっと長く担いでいたような気がします。Aさんは担ぎはじめて、しばらくはその雰囲気にのまれ、顔がこわばっていました。しかし、だんだんとまっすぐ前を見据え、顔つきが凛々しくなっていきました。

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