日本野球の対極にある「ドミニカ野球」の正体 DeNAの筒香選手は野球観が大きく変わった

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こうして筒香は2015年にドミニカ共和国のウィンターリーグに参戦、サントドミンゴを本拠地とするレオネス・デル・エスコヒードの一員として、プレーした。チームメートの大半はメジャーリーガーだった。

成績は10試合34打数7安打0本塁打2打点 打率.206

芳しいものではなかった。前半は調子が良かったが、後半に失速したのだ。その後、無事に帰国した筒香嘉智は2016年シーズン、本塁打・打点の二冠王に輝いた。ドミニカ共和国での経験が彼の打撃を変える一因になったと言われている。

しかし、そこで筒香が得たものは、単に野球の技術レベルの話だけではなかった。ドミニカ共和国の野球に触れて、野球観そのものが変わってしまったのだ。

練習中に守備の連携を確認する選手たち(写真:堺ビッグボーイズ提供)

ドミニカ共和国と日本をつなぐ仕事をしたい

筒香のドミニカ滞在をエスコートしたのは現・堺ビッグボーイズコーチの阪長友仁。華々しい経歴を持つ野球人だ。阪長は、大阪府交野市の出身だが、新潟明訓高校に進み、1999年、夏の甲子園に出場、1回戦で名将上甲正典監督率いる宇和島東高と対戦、エース大星から本塁打を打つなど活躍。卒業後は、立教大学に進み4年次には主将を務めた。

1月14日の野球イベントで話した阪長友仁氏(筆者撮影)

「大学を出てから2年間はサラリーマンをしていたのですが、その後、海外を巡って野球の指導者としての経験を積みました。

ガーナでは北京五輪の野球競技に出場するナショナルチームの監督をしていました。と言っても、チームは国内に1つしかないので、野球を知ってもらうのが主たる目的でした。

その後、青年海外協力隊としてコロンビアで2年、さらにグアテマラで3年。グアテマラにいた時に、休暇を利用して周辺国の野球を学んだのですが、そこでドミニカ共和国の野球と出会った。そして、今度はドミニカ共和国と日本をつなぐ仕事をしたいと思いました。

ドミニカ共和国には、MLB30球団すべてのアカデミーがあります。子どもたちは、そのトライアウトに合格するために野球に励みます。アカデミーは日本の高校生の世代です。そのアカデミー(日本の高校野球の年代)でどのような指導を行っているのか、各世代でどんなことをしているのか、それが知りたかった」

ドミニカ共和国は、人口わずか1000万人だが、メジャーリーガーを2017年は151人も輩出している。人口1億2000万人の日本では今、メジャーでプレーしている選手は8人にすぎない。

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