59歳「派遣に堕ちた」困窮男性が見続ける夢

勤続10年、時給は「40円」上がっただけ

北海道内の産炭地で生まれた。兄弟が多く、経済的な理由から大学進学を断念。高校卒業後、札幌にある資材製造会社に就職した。技術系の正社員として、勤続20年を超える頃には年収は400万円を超えていた。帰宅は毎晩のように深夜近くで、結婚のタイミングは逃しつつあったが、暮らしぶりはおおむね順調だった。

安定した生活が一転したきっかけは、借金の連帯保証人になっていた友人と連絡が取れなくなったことだった。ヨウジさんは多くを語らないが、金額は自身の年収を軽く超えていたという。会社を辞めた退職金で穴を埋め、自己破産をして片をつけた。

このとき、すでに40代半ばすぎ。正社員の働き口はなかなか見つからなかった。折しも労働者派遣法が改正され、製造業への派遣が解禁。「やむをえず派遣会社を渡り歩くことになった」。

派遣に対する「差別と偏見」

「派遣に堕ちた」。正社員時代、短期間ながら役職者として派遣労働者を使う側にいたというヨウジさんは、自らが使われる側に転じたことをそう表現した。たぶん、彼に派遣労働者を見下す意図はない。確かに派遣労働者の中には、専門性の高い技術を武器に労働市場を生き抜くことができる人もいれば、それぞれの事情から短期雇用を望む働き手もいる。一方で規制緩和が進む中、彼のように安く買いたたかれ、理不尽な雇い止めに遭う「不本意派遣」が大量に生み出されたのも事実だ。これにより、多くの職場にいらぬヒエラルキーがもたらされたこともまた否定できない。

実際に多くの派遣先は差別と偏見にまみれていた。ヨウジさんが派遣されたある職場の仕事は、重さ20キログラム近い荷物をトラックから所定の場所まで移し変えることだった。期限は午前中いっぱい。多い日は1人で500個近くを運ばなければならないこともあった。

ヨウジさんは、正社員なら、荷物が多ければ人員を増やしたり、作業を午後に延ばしたりするなど臨機応変な対応がなされたはずだと言う。しかし、派遣労働者は代わりが利くとでも思っているのか、そうした配慮はない。昼前になって正社員が手伝いに入ることもあったが、それは同時に「時間内に仕事ができない使えない派遣」とみなされることでもあった。実際に仕事を失う仲間もいた。切られたくなければ、死に物狂いで終わらせるしかない。そんなとき、つくづく自分は「労働者」ではなく、「労働力」なのだと痛感したという。

ミスをしたときの風当たりも強かったという。工場内でフォークリフトの運転中、通路に放置された製品にぶつかってしまったときなどは、正社員から「これだから派遣は……」と言われた。ヨウジさんに言わせると、運転の不注意もあるが、荷物を放置しておくほうも悪い。派遣労働者を格下とみなすような物言いに、「ほとんどの職場で、正社員との間に会話がなくなっていきました」という。

正社員には正社員の言い分があるだろう。ただ、ヨウジさんがその後、駐車場管理の仕事に就いたのは、「派遣を渡り歩く」ことに心身ともに疲れ果てたからでもあった。

非正規労働者となってから十数年。60歳を前にして、健康格差も顕在化しつつある。

逆流性食道炎の持病があり、医師からは年1回の胃カメラ検査を指示されているが、実際に検査を受けるのは経済的な事情から2、3年に1度が限界。胸やけがひどくなるなど「本当に調子が悪くなってから」だ。歯科医師からは歯槽膿漏と言われたが、放置。健康診断で要再検査とされた項目についても「病院に行くと、(おカネがなくなり)生きていけなくなっちゃう」と、こちらも捨て置いたままである。

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