AIで本当に人間の仕事はなくなるのか? アダム・スミスが予見できなかった未来

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ここに、先ほどのスミスの言う非生産的労働者の一人としての医師に登場してもらうとする。医師は、ロビンソン・クルーソーやフライデーの健康を守ってあげる約束をして、小麦と牛肉を手に入れて生活する。スミスは、医師のように必需品や利便品などの財を生産しない非生産的労働を増やさないことが、国富の増加、つまりは経済成長にとっては必要と論じていた。スミスの言う成長戦略とは、次のようなものであった。

「ある年の生産物のうち、非生産的労働者の維持に使われる部分が少ないほど、生産的労働者の維持に使われる部分が多くなり、翌年の生産物の量が多くなる。逆に、非生産的労働者の維持に使われる部分が多いほど生産的労働者の維持に使われる部分が少なくなり、翌年の生産物の量が少なくなる。」(スミス(1776)/山岡洋一訳(2007)『国富論』339ページ)

こうしたスミスの経済成長(資本蓄積)の仕組みをうまくまとめた図がある。

スミスの論の落とし穴

スミスの中では、非生産的労働の雇用は、経済成長の循環から外れている。しかし、スミスのこの話、本当にそうなのだろうか。

もし、ロビンソン・クルーソーとフライデーのふたりしかいないとすると、ふたりの胃袋が小麦と牛肉で満腹になる(つまり消費が飽和する)生産高で国内の生産は飽和してしまう。そして彼らがそこで生産をやめると、彼らの健康を守ってくれる医師を雇うことはできない。

だが小麦や牛の生産性が高くなった社会では、そうした生産活動に必要となるロビンソン・クルーソーとフライデーの労働時間はきわめてわずかですむようになる。そしてもし、ふたりの生活に必要な小麦と牛肉を食べ尽くしても、まだ多くの小麦と牛が余ったとする。この余った小麦と牛が、スミスの言う貯蓄になるわけだが、この貯蓄は、すべて、来年の生産のために投資されるだろうか。小麦と牛の生産を増やしたとしても、消費してくれる人がいないのである。

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