維新150周年式典の前に「賊軍の名誉回復」を 前のめりな政府に「東北・北陸」が違和感
薩長史観ではあまり触れられなかった真実に目を向け、「賊軍」にされた人たちの名誉回復が図られるべきではないでしょうか。いまだ靖国神社には、賊軍とされた側の戦没者は祀られていません。
旧幕府側の「近代化政策」の再評価を
幕府は無力で無策だったというのが薩長史観の見方です。しかし実際は、27歳の阿部正弘を老中首座にすえ、開国を見据えた近代化を図っていました。
オランダからの警告を受け、ペリーがやってくる1年前から江戸湾に砲台を築き、大船建造の禁止令を解除して海防の強化を行っています。開国を見据え、海軍伝習所を設立して諸藩の藩士らも受け入れました。外国の知識のある人材を多く登用しました。
なかでも勘定奉行になった小栗上野介(忠順)は、横須賀製鉄所(造船所)を造り、造船所や修船所などの建設を促進しました。薩長勢力が、開国を阻止しようと外国人や開国派にテロを加えていた時代のことです。
この横須賀製鉄所は日本の近代化に計り知れない貢献がありました。明治になり日露戦争でバルチック艦隊に勝利した東郷平八郎(薩摩)が、小栗の遺族に「日本海海戦で勝利を得ることができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造ってくれたお陰です」と礼を述べているほどです。
それにもかかわらず、2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」には、登録を目指した段階から横須賀製鉄所はリストアップされませんでした。リストには、九州・山口の施設が集中し、松下村塾まで入っているのに比べ、不可解と言わざるをえません。世界遺産登録を強く推進した安倍首相が、吉田松陰を礼賛していることとの関連を指摘する声もあります。
横須賀製鉄所を造った小栗は、江戸開城の折も徹底抗戦をとなえたためか、その後引きこもった領地で、新政府側に濡れ衣を着せられて処刑されています。薩長勢力にとっては触れたくない人物なわけで、そんなことも影響して横須賀製鉄所を無視したのではと言う向きもあるようです。
全国民一致で祝う「明治維新150年」にするためにも、今度はそんなことを言われないよう、「負けた側の貢献」についても積極的に評価していただきたいものです。
最後に、菅官房長官は「明治の精神」に学ぶことを勧めていますが、その精神には、軍国主義、侵略主義、愛国心があり、それが先の大戦につながっていったということを忘れてはならないことは、言うまでもありません。
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