維新150周年式典の前に「賊軍の名誉回復」を 前のめりな政府に「東北・北陸」が違和感

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そんな中、山口県に地盤を持つ安倍晋三首相が主導して、薩長史観に基づき明治維新を美化するかのような祭典を行うことに対して、旧「賊軍」地域の人々はどのように思うでしょうか。

そうしたことにも配慮し、記念式典を催す前に、最低限以下のことを政府に表明していただきたいものです。

「賊軍」の名誉回復を

幕末の権力抗争の中で、会津藩は敗れて「賊軍」「逆賊」とされてしまいました。

しかし、そもそも孝明天皇は、会津藩主の松平容保(かたもり)を深く信頼し、それに応えようと会津藩の人々は必死に忠義を尽くしていました。会津びいきで長州を遠ざけた孝明天皇は急死したわけですが、毒殺されたのではともいわれています。

その後、幼い明治帝が担ぎ上げられ、薩長の策謀で、幕府や会津などに対して「討幕の密勅」が出されます。しかし、『薩長史観の正体』で詳しく述べたように、これはどうみても偽造された勅書、つまり偽勅だと思います。有名な「錦の御旗」も同様です。

こうした経緯にもかかわらず、薩長明治政府は会津を「賊軍」としたわけですが、これでは会津の人たちが納得できない思いを持ち続けるのも仕方ないことでしょう。明治政府の過ちを、公(おおやけ)に見直す時期に来ているのではないでしょうか。

長州の木戸孝允(桂小五郎)の強い主張により、戊辰戦争に敗れた会津藩士やその家族を極寒の地(斗南)に追いやり、生き地獄を経験させたことなども反省すべきだと思います。

会津以外の旧幕府側、奥羽越列藩同盟の諸藩も「賊軍」とされたわけですが、これも同様に名誉回復が図られるべきだと思います。

新政府軍は、仙台藩などの和平斡旋の申し出を踏みにじり、長州の世良修蔵の暴虐な振る舞いにより奥羽諸藩を開戦に追い詰めました。

また、北越方面では新政府軍の岩村精一郎が、長岡藩の家老・河井継之助の再三の和平斡旋の嘆願を無視し、戊辰戦争最大の激戦を招きました。

いまはやりの「西郷どん」にしても、幕府を挑発するため、江戸市中で「薩摩御用盗(ごようとう)」と恐れられるテロ行為を行わせたことはごまかせない史実です。

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