鈴木宗男氏が展望する「北方領土問題の行方」 オリバー・ストーンのプーチン密着記を読む
しかし、それ以降の厳しい東西冷戦対立のもと、日本でも四島一括返還を求める右バネが働き、交渉はまったく進展していませんでした。
ソ連が崩壊し、ロシアとなると、これが好機と、1996年に総理となった橋本龍太郎さんが、エリツィン政権と交渉をし、川奈提案と言われる大胆な提案をします。これは択捉島とウルップ島の間に国境線を引くというもので、エリツィンは「たいへん興味深い提案だ」と言っていたのですが、その後、エリツィンの健康状態が悪化、それもついえてしまっていました。
そうした中、小渕政権と森政権で、私は当時外務省の主任分析官だった佐藤優さんとともに、「北方領土特命交渉」を行ったのです。
当初、アメリカの同盟国として生きようとしたロシア
『オリバー・ストーン オン プーチン』を読むとよくわかるのは、エリツィン政権時代、ロシアはアメリカの同盟国になることで生きていこうとしていたということです。KGBは暗号の鍵をアメリカ側に渡し、経済はアメリカ型市場主義を一気に導入する形でソ連の社会主義経済からの移行が行われたことがわかります。しかし、そうしたウォール街流の資本主義を一気に導入することでロシア経済は混乱しました。政権と密着に結びつくオリガルヒと呼ばれる資本家が跋扈(ばっこ)し、国自体は、破産しかかります。
そうした時に、健康状態が悪化したエリツィンに代わって登場したのがプーチンだったのです。プーチンは、急激な市場主義を改めて、もういちど統制経済に戻します。オリガルヒたちも法のルールに基づいて経済活動をするように、統制されるのです。それをよしとしなかったオリガルヒは潰され、そのあたりから市場主義を信奉するアメリカとの関係があやしくなってきた、とこのインタビューを読むとわかります。
が、本書に書かれているように、統制型経済に戻したプーチン流の舵取りのほうが、ロシア国民にとってはよかったことは数字の上からも歴然としています。本書によれば、2000年のロシア国民の平均所得は2700ルーブルだったのが、2012年までには2万9000ルーブルにまで増えました。エリツィンから政権を引き継いだ時に、破産しかかった国家は、2006年にはIMFからの借り入れを完済するまでになるのです。
そうです。プーチンは何より経済に強い大統領でした。まず、ロシアは石油という武器がある。世界一のエネルギー資源を持っている。それを利用する国と戦略的関係をつくっていく、という明確な意志がありました。その意味において日本が重要で、極東の開発をし、極東に人を住まわせるということを重視していた。そのためには、自動車工場でもよい、電機工場でもよい、日本に出てきてほしい、そうしたメッセージを私は交渉の中で受け取っていったのです。
プーチンが尊敬する政治家の1人に帝政ロシア時代のピョートル・ストルイピンという人がいます。ロシア皇帝の下で戒厳令を施行し、革命派を容赦なく弾圧した首相でした。裁判の迅速化を図って軍事法廷を導入し、死刑になった人は即日処刑されるという苛烈な政策をとりましたが、「まずは平静を、しかるのちに改革を」という自身の言葉どおりに、さまざまな経済改革を行いました。
そのうちの1つに極東の開発がありました。プーチンはストルイピンの「極東に人を住まわせることがロシアの力だ」という言葉を2期目の大統領選挙の際、しばしばひいて、極東開発の重要性を訴えていました。
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