鈴木宗男氏が展望する「北方領土問題の行方」 オリバー・ストーンのプーチン密着記を読む

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小渕・森政権と続いた私の北方領土の交渉のスタンスもそこにありました。ロシアとさまざまな経済協力を約束し、そのうえで、平和条約の締結にもっていく、そのようにして北方領土を日本に返すという道筋です。

そうした働きかけが実り、2000年9月にプーチンは、1956年の日ソ共同宣言の有効性をロシアの最高指導者として初めて認めてくれたのです。記者会見で、平和条約締結のあとに歯舞・色丹の二島は日本に引き渡すということで、ソ連の最高会議も日本の国会も批准している、これは約束そして義務だ、ということを言ってくれたのでした。

そして、森政権下の2001年3月に、この発言を文書化しました。イルクーツクで行われた首脳会談で、日ロ両国によって発表されたイルクーツク声明です。

このイルクーツク声明の日ロ両国の認識に従って交渉をしていれば平和条約の締結にまでいき、少なくとも二島は返ってきたと私は考えています。しかし、小泉政権に変わり、外務大臣が田中眞紀子になって、田中眞紀子と私の論争がボヤから火事になり、外務省の一部がそれに乗っかって、私が外交の現場からパージされてしまう。

この政変による権力の移動と、外務省の官僚たちの自己保身のおかしさについては、当時一緒に北方領土特命交渉で汗をかいてくれた佐藤優氏の『国家の罠』などの一連の著作、そして私と佐藤さんとの共著『北方領土「特命交渉」』に詳しく書いてあるので、ここでは触れません。

が、いずれにせよ、私と佐藤さんは東京地検特捜部の国策捜査によって逮捕・起訴され、そこからは、北方領土交渉の蚊帳の外でした。「蚊帳の外」どころか、小泉政権で、川口順子外務大臣が、イルクーツク声明について否定的な発言をして、プーチンは、あっ、もうこんな者とは付き合いきれないと、交渉がストップしてしまう。

それに続く第1次安倍、福田、麻生、民主党政権でも「北方領土交渉」が進んだわけではないので、日ロは「空白の10年」を迎えることになります。

プーチンはイスラム原理主義の台頭に気がついていた

それでも第2次安倍政権になったあとの2015年から再び日ロで交渉が始まった理由の1つに、西側の中で日本だけが小渕・森政権の時代に、チェチェンを人権問題としてとらえずにロシアの内政問題だとして、干渉しないという立場を表明したからです。

本書の1つの読みどころは、チェチェンを含むコーカサス地方で活動しているのはアルカイーダ系のイスラム原理主義者で、国際テロ活動の一環として紛争を起こしているのだ、ということをプーチンが証拠を持ってブッシュ大統領を説得するくだりです。

プーチンは、アメリカの諜報機関がそれらのテロリストたちを支援していることを諜報員の実名とその支援方法まで書いた書類を見せてブッシュ大統領に示し、解決を望みます。ブッシュ大統領は、「私がすべて解決する」と約束します。しかし、その後、何の対応もとられず、結局はCIAから『わが国は反体制派を含めたあらゆる政治勢力を支援する。その方針は継続』するという手紙がロシアの諜報機関に来て、終わりになってしまったことをプーチンは本書で嘆いています。

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