対談冒頭で、辰野会長が「カヌーとボートの違いがわかりますか」と観客に問いかけました。皆がキョトンとしていると、「ボートは、オールという櫂(かい)で漕(こ)いで後ろに進みます。カヌーは、パドルという櫂で漕いで前に進みます」と説明し、「だからぼくはカヌーが好きなんです」と付け加えられました。「仕事もいっしょ。前向き、ネアカがいいのです」。
羽根田さんが「ぼくもポジティブです。あまり悩みません」と応じると、辰野会長は「ぼくはどこでも眠れるし、忘れる能力がある。朝起きるといちばん楽しいことを考える。友人から、辰野は“失敗”という概念がないんじゃないか、とも言われます」。失敗とは思わない。では、どう考えるのでしょうか。辰野会長は「ぼくは“不都合”と思っちゃうんですよ。だから前を向いて歩き続けられるんです」と言いました。
次に、羽根田選手の銅メダル獲得の話になりました。2016年8月のリオデジャネイロ五輪で銅メダルの栄誉に輝いた羽根田さんは、その時の気持ちをこう語りました。「一生忘れられません。銅メダルを取れて、号泣しました。オリンピックのメダルなんておとぎ話の世界でしたが、それが現実になった。願い続ければ夢はかなうんだと思いました」。その言葉に深く頷いた辰野会長が、1つのエピソードを披露しました。
努力し続ければ夢はかなう
「モンベルは、日本障害者カヌー協会を支援していますが、そのご縁で、リオのパラリンピックでカヌースプリントに出場する瀬立(せりゅう)モニカ選手を知りました。
彼女は、高校生の時に転倒して頭を打ち『体幹機能障害』になって、座った姿勢を保つことができません。でも、水上ではバリアフリーでほとんど自由、とカヌーに挑戦しています。モンベルでは、パドリングがスムーズに行えるよう、全面ストレッチ素材に世界最高レベルの撥水加工を施したウエアを提供しました。頑張ってくれてみごと8位に入賞。やっぱり、努力し続ければ夢はかなうんですよ」
では、そう言う辰野会長自身の若い頃の夢はどんなものだったのでしょうか。
辰野会長が、最初に仕事への夢を抱いたのは、高校1年の秋だったそうです。国語の教科書に載っていたハインリッヒ・ハラーのアイガー北壁登攀記『白い蜘蛛』に感銘を受け、アイガー北壁の日本人初登攀を目指し、さらに28歳になったら独立して山にかかわる仕事をしよう、と決心します。
実家がすし屋で、幼い時から両親の働く背中を見て育ったので、仕事は自ら起こして自営するものだと考えた、と辰野会長は述懐しますが、なかなか16歳の時点で28歳の自分を想像できるものではありません。すでにして、将来を見通す先見性を備えていたんだ、と思います。
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