カズオ・イシグロに賭けた男の譲れない一線 翻訳本をすべて出す早川書房のこだわり
――そもそもイシグロ氏の本を出すようになった経緯は?
2001年に版権(翻訳権)を日本の別の出版社と競って、最終的にうちになりました。版権を獲得して初めてお会いし、「早川があなたの日本の出版社になりました」とお伝えした記憶があります。フェイバー&フェイバー社のそばの、行きつけの中華料理屋さんで、お昼ごはんを3時間ぐらい一緒にしました。初めはお互いに緊張していましたね。
日本にご家族(本人、ローナ夫人、お嬢様)の3人でいらしたときに、うちの家族とも食事をしました。最初は、作家と出版社との関係から始まりましたが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、家族同士での交流・お付き合いをずっとしています。
イシグロさんの作品を早川書房が出す段になると、自分が楽しむだけではなくて、いい本を作り、読者の方にも楽しんでもらわないといけません。(イシグロさんの本を出したいという私の)夢がかなっていると同時に、日本の読者に喜んでもらえていると思っています。
イシグロ氏と村上春樹氏のキューピッド
――イシグロ氏は、早川社長の息子である早川淳・副社長の仲人もされたとか。
2015年の6月です。結婚式、講演会、それから読者との交流会もありました。ご本人が仲人はどんなふうに振る舞えばよいのかわからないというので、ホテルでリハーサルまでしていただきました。このときは内輪で歓迎会もしましたが、以前からイシグロさんと交流があった村上春樹氏にもお声掛けして来ていただきました。ずいぶん和やかなアットホームな会でした。
そういえば、2001年にイシグロさんが来日されることを知った村上春樹さんが編集部に電話をかけてきて、うちの会社の地下にあるレストランでテーブルを囲みました。私はすぐに席を外しましたが、おふたりは意気投合したそうです。ですからおふたりを引き合わせたのは、私だといえなくもない。
――早川書房についてお尋ねします。早川といえば翻訳が有名です。年間どのくらい出版されていますか。
年間で文庫を含め270~280冊ほど出していますが、そのうち翻訳ものは7~8割ですね。この10年くらいは、徐々に徐々に日本人作家を増やしています。
父(創業者、故早川清氏)も外国の書物を翻訳するだけではなくて、日本人のオリジナルの作品・作家を見つけて育ててということをしてきました。できれば1冊でも外国に逆に輸出しようじゃないか、ということは父と話していたんです。星新一さん、小松左京さん眉村卓さんなどは外国で翻訳されています。
最近ですと、伊藤計劃(けいかく)さんの海外輸出に力を入れています。ほかにも原尞さん、皆川博子さん、月村了衛さんなども実績があります。
早川清文学振興財団では、ミステリーが対象の「アガサ・クリスティ賞」、SFが対象の「ハヤカワ・SFコンテスト」、それからこれがいちばん古いハヤカワの賞で、演劇作品が対象の「悲劇喜劇賞」、3つの文学賞を持っています。日本人作家のこうした下地もあるので、新人の発掘も積極的にしているわけです。特にアガサ・クリスティ賞は、アガサ・クリスティ公認の、世界で最初の公認の出版社であり賞ですから、非常に価値があると思いますね。
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