普通の人はどこかで方向転換して、芸能事務所に入るだろう。芸能事務所に入っても、おそらくほとんどの視聴者は気づかない。現に筆者は、越前屋さんがフリーランスだとは本を読むまで知らなかった。
でも、越前屋さんにはそれはできなかった。最後の最後までフリーランスで突っ張っていた。
そして越前屋さんの心は、折れた。
自問自答の日々
「命綱もつけずにロッククライミングしてる感覚でした。みんなにすげえって言われて調子に乗って登ってたんだけど、どんどん岩壁はオーバーハングしてしんどくなってくる。思わず下を見たらビビっちゃった。とんでもない所に1人でいるのに気づいちゃった。いったんビビったら、もう下がることも上がることもできなくなった」
そして、越前屋さんは山にこもった。
これは比喩ではなく、リアルに山にこもったのだ。
「このころの話をシビアに話そうと思えばとてつもなく深刻になるんだけど……。明るく話すなら、タイガーマスクが必殺技を手に入れるために、山ごもりをして修行する、そんなイメージでした」
山ごもりをするマンガのキャラクターは大体2~3日で必殺技を手に入れて山から下りてくる。しかし越前屋さんは下りてこなかった。そしてそのまま山に住んだ。
「自問自答の日々でした。毎日毎日、内省していました」
人間は調子が悪くなると悩む。調子がいいときは悩まない。「なぜダメだったんだろう?」「なぜケンカしちゃったんだろう?」など失敗に関しては悩むけれど、「なぜ自分はうまくいったんだろう」「なんで面白くできたんだろう?」とは悩まない。
越前屋さんは、そういう普通の人は悩まないところまで追求して、省みた。
そんな自問自答の日々は、なんと5年間も続いた。
「5年って決めてたわけじゃなくて、1年か5年か10年か、何年になるかわからずこもったんですよね。だから、長さがわからないトンネルに入っていくような不安さがあった」
最初は不安だった。そしてそのうちどうでもよくなってきた。そして最終的には楽しくなってきた。
「その楽しさはランナーズハイみたいなもんです。気持ちは楽しくなってるけど、体は疲労でボロボロになっている。僕の場合は山にこもり続けてカネがなくなった。飯も食えなくなった。だから山を下りたんです」
山を下りてきて「ついにやる気になったんですか?」と言われたが、そんなにかっこいいものではなかった。
おカネがなくなったから、働かなければならなかっただけだ。
何をしようか迷っていると大学の教員に誘われた。先生という職業は、中学時代から越前屋さんにとっていちばん嫌な職業だった。
「先生なんてクソ食らえだったよね(笑)。偉そうに人に教えてどうするんだって。でも、それでもやったことないからやってみようかと思った。そうして気づいたらもう10年も大学で教えてる。関西大学、京都大学、和歌山大学……『なんでそんなに大学に行くの?』ってくらい授業をしています」
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