さっそく子ども時代の話から聞いた。
「小学校の頃は、クラスで人気者になりたい人でしたね。関西では小学時代は『おもろい』が圧倒的に大事なんですよ。すこぶる活発な子どもでした」
明るい普通の小学生だけど、派閥を組むのは嫌いだった。クラスにはヤンキーも、貧乏人も、頭のいいやつも悪いやつもいたが、「クラスはみんな友達であるべきだ」と頑なに信じていたという。
中学生になると「教師っておかしいよな」と思うようになる。ヒステリックだったり、差別的言動を繰り返したりする教師を見て、「大人って悪いよな」と思う。
教師は「ウソをつくな」「イジメはするな」って言ってるけど、自分たちはウソをつくし、イジメにも加担している。
クラスのみんなは誰も文句を言わなかったが越前屋さんだけは許せなかった。1人で先生に歯向かい、職員室で泣きながら戦っていた。
要領がよかったから受かっただけ
私立高校の進学コースに通ったが、勉強はほとんどしなかった。だが、まず合格できないと学校側に言われていた関西大学を受験して、あっさりと合格してしまう。
「日本の受験自体は本当に頭のいい人が受かるシステムになってないから。パズルやクイズみたいなレベルで、要領がいい人だったら『だいたいこの範囲が出るから、ここを集中的に覚えればいいな』とかわかるじゃないですか。僕は要領がよかったから受かっただけです」
そして関西大学に通っている時に、テレビ関係のアルバイトをすることになった。プロデューサーや放送作家が居並ぶ企画会議に参加する。
学生にもかかわらず、思っている意見をドンドン言った。最高権力者であるプロデューサーにも逆らいながら、企画を出した。
「会議の席で堂々と発言できたのは、あこがれて入ったテレビの世界が全然面白くなかったからですね。最初は関係者に気に入られたら、就職できたりするんじゃないか?とか思ったけれど、すぐにどうでもよくなった」
正直、「要領よくやれば就職できるぞ」という予感はあった。ただ「要領よくやっている自分」が面白くなくて嫌いだった。
気に入られようが気に入られなかろうが、どうでもいいと思った時点で欲がなくなった。
「思考が純粋に『おもろいか、おもろないか』だけになりました。だからプロデューサーにも遠慮なく発言できた」
発言をしているうちに「だったらお前が出演しろ」ということになり、越前屋さん自身がテレビに出ることになった。
「TV-JACK」は関西ローカルの深夜番組とはいえ、絶大な人気を誇る島田紳助さんの看板番組である。視聴者は多かった。
そして冒頭に書いた「通行人にいきなりシャンプーする」コーナーは話題になり、関西限定とはいえ一躍有名人になった。
以降、越前屋さんの仕事の舞台は“街”が中心になった。今では街ロケものの番組は珍しくないが、当時は斬新だった。
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