伝説の「高速スライダー」男、伊藤智仁の足跡 ヤクルト一筋の人生25年、知られざる物語

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手にしていた花束を笑顔とともに掲げると、さらに盛大な拍手とねぎらいの言葉が神宮球場を包み込んだ。現役通算37勝27敗25セーブ。防御率は2・31。これが、記録より記憶に残る男――伊藤智仁のプロ野球人生だった。

25年間のヤクルト人生、最後の一日

現役引退後、伊藤はヤクルトのコーチとして後進の指導に当たった。由規、村中恭兵ら期待の高卒ルーキーたちと泥にまみれて練習に励んだ。2004年から2017年までの14年間、彼は次代のヤクルトを支える若手投手を育成すべく奮闘を続けた。そして、今季限りで伊藤智仁はヤクルトのユニフォームを脱いだ。1993年のプロ入り以来、実に25年間にわたる、ヤクルトひと筋のプロ野球人生だった。

2017年(平成29)年10月3日――。本拠地最終戦恒例のセレモニーも淡々と進む。監督退任の弁を述べる真中の姿を、伊藤は黙って見つめている。セレモニー終了後、選手たちによる真中の胴上げが始まった。続いて伊藤も神宮の夜空に舞った。この日、神宮球場では伊藤の家族が最後の雄姿を見守っていた。妻・泉は言う。

「子どもたちにパパの最後の姿をきちんと見せてあげたかったので……」

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野球を始めたばかりの長男は山田哲人のレプリカユニフォームを身にまとい、満員の球場に興奮を隠せない。一方、高校3年生の長女は制服姿のまま、父の姿を見て静かに涙をこぼした。

家族全員に見守られる幸福な最後の瞬間だった。そして、関係者との打ち上げを控えていた伊藤は用意されていた車に乗り込んだ。

係員に誘導される形で車が動き出す。伊藤を乗せた車がクラブハウスを出ていく。25年間通い慣れた神宮球場を後にする瞬間だった。テールランプの赤い光がやがて小さくなっていき、そして車は完全に見えなくなった。家族に見送られ、ファンの声援を受けて神宮球場から去っていく。

伊藤智仁の最後の一日、25年にわたるプロ野球人生に、ひとまずの区切りがついた瞬間だった――。

(文中敬称略)

長谷川 晶一 ノンフィクションライター

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はせがわ しょういち / Shoichi Hasegawa

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。2005年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。ではあるが、実は1980年に初めてヤクルトFCに入会して以来38年間純潔を保ち続ける一途なヤクルトファン。著書に『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 』『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(以上、集英社)、『プロ野球語辞典』(誠文堂新光社)、『オレたちのプロ野球ニュース』(東京ニュース通信社)ほか多数。「文春オンライン」の「文春野球コラム ペナントレース2017」ではヤクルトを担当。公式ブログhttp://blog.hasesho.com/ 
 

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