「あまり営業はしませんが、クライアントと互恵の関係になるような企画が練られたら持ち込むということはやっています。対等なテーブルで話せるように、相手が欲しがるような情報をいっぱい持って」
朝食はカロリーメイト2本。昼食は状況に応じてメニューを変えるが、基本的には生ものは口にせず、できるかぎり慣れた食べ物を選ぶ。駆け出しの頃、かけそばのつゆを飲んだあとに腎臓がおかしくなってしまい、病院にお世話になったことで仕事の予定が大きく狂ったことがあった。それ以来食に関しては保守的になっている。夕食は出張や会食がないかぎり塩分4g以下を徹底している。結婚した後もそこは変わらない。
傍からみるととてもストイックに見えるが、息を吸うようにストレスレスでこの日常を10年以上過ごしている。自分の意思で積み重ねた習慣はよくなじむということかもしれない。
寂しいけれど、妥協できない
しかし、研ぎ澄ました自己流は仲間と仕事したり後進を育てたりするときに枷(かせ)になることもある。フリーランスのフォトグラファーとして順調な道を歩む福永さんだが、40歳の頃の目標としていた「若い人たちとチームで」仕事する環境は50歳になった現在も実現していない。
「人を雇いたいとは思っているんですけど、それは手が借りたいんじゃなくて、自分と違うセンスがほしいからなんですね。僕と同じくらいの姿勢で仕事に打ち込んでくれて、僕と同じ位置から違うセンスで意見を出してほしい。けれど、条件に合う人はなかなかいない。寂しいけれど、妥協できないところがあるから仕方ないんですよね」
日本デザインセンターでチーフを務めていたときは、会社の基準に合わせて部下を育ててきた。一方、現在の基準は自分が定めたものになる。するとどうしても求める水準が高くなってしまう。技術はいくらでも教えられるが、根底にあるプロ意識はなかなかすり合わせられないし、さらにセンスの良しあしとなると持って生まれたものも出てきてしまう。
実はこれまでに2人ほど福永さんの条件に合う後進との出会いがあった。「けれど2人とも目指す場所がほかにあって、僕が進路を曲げてしまうのは申し訳なく思ったんです。だから雇い入れる機会はあったけど、結局別々の道を行くことになりました」
今も後進と仕事をすることを完全に断念したわけではないが、自分の性分だからと1人で仕事することに納得している。積極的に探すことはもうしないそうだ。
ちなみに、会社の設立は予定より早い35歳のときに実現している。『超芸術トマソンの冒険』を機に交際を始めた同窓の奥さんとの結婚がきっかけだった。「当時妻はデザイナーだったので、組んで新しいことをしたいなと思ったんですよね」。
それでも奥さんを役員や社員とせず外注スタッフ扱いとしたのは、会社が負債で倒れたときに巻き込まないようにするためだ。「最悪のときは離婚すれば、妻に累が及びませんから」。
30歳のときに描いたロードマップは40歳時点で齟齬(そご)が生まれているため、「50歳で経営者1本」というステージもやはり厳しい状況だ。それでも福永さんに焦りはない。
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