50歳フリー「広告写真で稼ぐ男」の痛快な人生 本領は職人、いい仕事こそが次の仕事を生む

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全体から細部にわたり、逆光で被写体の輪郭を際立たせつつ、順光(正面からの光)で本来の色を引き出す、という調整を積み重ねていく。そして画面すべてに意図が行き渡ったところで、チームのチーフがシャッターを切って完了――というのがいつもの流れだ。

一流のプロが最新鋭の機材と技術を使って写真を作り込む。そんな現場に身を置く日々はとても心地よかった。役職が埋まっていたためにチーフになるまで数年待たされたが、仕事の合間には会社の資材を使って好きに鍛錬できたし、アシスタント時代も細かな仕事は自分がトップとなってこなせたりもしたので、不満は肥大化しなかった。しかし、福永さんは1996年の仕事始めの日にいきなり辞意を表明する。28歳のときだった。

小さな飛行場にて。日没に近い、ほんのわずかな時間の美しい光を狙って(写真:福永 仲秋)

スイッチが入った父の一言

「正月に実家でお雑煮を食べているとき、父に『俺が仲秋の年齢の頃にはこの家を建ててお前を育てていた』と言われたんですよ。この先どうするんだ、と。もともと延々と勤めるつもりはなかったんですけど、心地よすぎて気持ちが定まっていなかったんですが、あの一言でスイッチが入りましたね」

寝耳の水で戸惑う上司をどうにか説得して退社を実現。ただ、心のすきはまだ空いたままだった。辞意を知った会社OBの会社からの誘いにあいまいな返事をしているうちに入社することになり、半年後にはそこを辞める名目を必死に探す自分がいた。「青年海外協力隊に参加したい」と伝えて会社を去った後は、募集のあったブルガリアの写真教師の枠に合格するため、仕事をせずに語学勉強に没頭。見事に試験を合格するが、そこでわれに返る。自分は何のためにブルガリアに行くんだろう……?

ここで本当のスイッチが入った。誠心誠意謝って赴任を辞退し、青山の不動産会社に駆け込んで空き物件を探し、小さな個人事務所を得た。1998年春、31歳になる数カ月前のことだ。卒業時に描いていた人生のレールにギリギリ間に合わせることができた。

とはいえ、写真作家として成り上がるストーリーはもう頭の中にはなかった。これから10年間はフリーランスのフォトグラファーとして広告や雑誌の仕事をして、40歳ごろには会社組織にして若い人たちとチームでやっていこう。そして50歳になったら現場から身を引いて経営者一本でいければいい。そう新たなレールを敷いた。

『超芸術トマソンの冒険』(赤瀬川原平/筑摩書房/ジャストシステム)(筆者撮影)

経営戦略は特に描いていなかったが、船出は順調だった。フリーランス第1号の仕事は近況を知った大学の同級生から誘われた案件。『超芸術トマソンの冒険』(赤瀬川原平/筑摩書房/ジャストシステム)という、PC上で架空の街の探索ができるソフトの撮影を担当してほしいという依頼だった。

「VR(仮想現実)という言葉が生まれたばかりの頃で、ソフトのなかで使う映像を360度カメラで撮影する仕事でした。360度撮影するにはレンズを中心軸にして水平回転させる機構が必要になりますが、当時はまだそんなもの知らなくて。ありものを組み合わせてどうにか撮影して記憶がありますね」

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