日本酒に賭ける男の「好きを仕事に」した人生 才能に恵まれずともひたすらやり続けてきた
――今いる状況の中で、最適解を見つけ出す。
数岡氏:バイト代の単価を上げるための工夫というか、ただ必要と思われることをしたんです。やはり、家庭教師の実績は「合格者の数」に尽きますので、できる限り合格する可能性が高まる、教え子が実現可能そうなプランを自分で考え出したりしていましたね。おかげさまで、普通の家庭教師の相場をかなり上回るのお給料をいただくことができ、自分の勉強にも集中できるようになりました。
この時に、研究の世界に興味を持つきっかけになったのが、酵素の分野の世界的権威である左右田健次(そうだ・けんじ)先生の授業と、左右田先生の指導を仰ぎながら行った卒業研究でした。先生は、元々京都大学にいらっしゃった方で、退官後、名誉教授として、私が進んだ新設の生物工学科に来られていた方でした。左右田先生の学生を惹き付ける授業を受け、酵素の世界に興味を持ったことが、研究者としての扉を開く大きなきっかけとなったんです。
偶然を楽しく。「制約」の中で広げた道
数岡氏:左右田先生に出会えたことは幸運なことでしたが、自分がこの世界を目指すうえで、大きく影響を及ぼしたのが、家族の存在でした。どの家庭にも、進路や将来の選択において、金銭面やその他さまざまな事情があると思いますが、自分の場合も、家庭の事情で、ある種の「選択の制約」があったんです。家族と一緒に住むことだけではなく、家族の生活のために多くの時間を確保できること、かつたくさん必要な医療費のために安定的な収入も得なければならないという制約の中で、自分の好きと両立できる道だと考えたのが「大学の教員」でした。そこから、大学の教員というゴールにたどり着くまでの道のりを「妄想」で設定し、それを進んでいく日々が始まりました。
関西大学からそのまま大学院まで進み、ドクター(博士号)を修了した後、幸運にもポスドク(※ポストドクター。博士号を取得しながら、非正規の立場で研究活動を続ける任期付き研究者)として、京都大学の江﨑信芳(えさき・のぶよし)先生の元で研究員を1年間、その後、2年間という任期付でしたが、京都大学の科学研究所で講師として教務職員のポストに就いていました。ポスドク問題もあって、周りは多くの優秀な研究者たちだらけの中で正直、先の見えない細い道を進んでいるようで、この頃は不安な毎日でしたね。