野球選手にも、営業マンにも、いずれは“プレイヤー”として引退の時期がやってくる。その後は、野球選手ならユニフォームを脱いで第二の人生を歩み、営業マンは管理職として現場の人材を活用する側に回るのが一般的なケースだろう。
一方、現役にこだわり続ける者もいる。“ベテランプレイヤー”がエネルギッシュな若者と張り合うには、どんな心構えが必要なのだろうか。
そのヒントを与えてくれるのが、“ミスター社会人野球”として知られる西郷泰之だ。41歳の左打者はプロの世界とは縁がなかったものの、1996年のアトランタ五輪で銀メダルを獲得するなど日本代表として長らく活躍し、社会人ナンバーワンを決める都市対抗野球では“優勝請負人”の異名を授けられた。
三菱ふそう川崎でともにプレーした渡辺直人(西武)は「雲の上の人」と尊敬の念を表し、現所属のホンダでチームメイトだった長野久義(巨人)も多大な影響を受けたという。
体の痛みなんて何てことない
西郷が野球界で一目置かれる理由のひとつは、他者がマネできないような生き様にある。20年以上に及ぶ社会人野球のキャリアで数々の栄光を築いた裏で、骨折5回、肉離れ8回と何度も故障を負った。ピッチングマシーンのボールが頭部に直撃し、頭蓋骨骨折で生死の淵をさまよったこともある。
不惑を経て、現在は満身創痍だ。それでも、バットを置くつもりはない。
「体が痛い、腰が痛いなんて些細なこと。もちろん痛いものは痛いけど……野球ができない苦しみに比べたら、体が痛いのは何てことない。自分はケガをして、野球をできない時期がありました。野球部が活動停止になって、プレーできない頃もありましたね。そういう時期は本当に辛かった。いま、野球ができているのはすごく幸せです」
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