日本人が知らないプリンストン強さの秘密 アイコン化した強い組織の研究<5>
最高の人材を「魅惑」する方法も、同研究所は独特だ。ダイクラーフ自身も、それを体験したという。それまでは、高等研究所のディレクターになりたいと自分が思うようになるとは、考えたこともなかったそうだ。だがある日、ニューヨークで、研究所に資金を提供している理事数名から夕食の招待を受けた。そしてディナーのあと、ひとりに誘われる。プライベート・ジェットに乗って、プリンストンを見に行かないかというのだ。
「滅多に体験できないフライトですから、断れませんでした」。そのときの会話で、ダイクラーフは、ポストのことを考え始めたという。結果は、知ってのとおりだ。
厳密な人選を通過した人たちは、革新的な研究を行うため、いかなる制約もない完全な自由を手にする。指導の義務も、業績で評価されることもなく、給与は全員一律だ。それでも自身や同僚たち、そして科学全般に対して非常に強い使命感をもって、革新的なアイデアを生み出そうとする。「このカルチャーはアカデミック・スタッフだけではなく、理事たち、サポート・スタッフにも浸透しています」と、ダイクラーフは言う。
「理事たちは、研究教育に生涯にわたってかかわることが多いです。資金提供はもちろんですが、研究所がずっとこのまま続いていくという感覚を強化する意味でも、役立っています。サポート・スタッフも、非常に献身的です。何代にもわたってここで働いている人たちもいますし、仲がいいです。先日、吹雪があったのですが、そのときに管理人たちは早朝3時に起きて倒れた木を片づけたり、雪かきをしたり、24時間休まずに働きつづけました。すべて、研究所の科学者たちに少しでも不便をかけまいという想いからです」
さまざまな分野や年代の偉人たちとの偶然の出会い
科学者たちは自由のほかに、さまざまな分野や年代の偉人たちとの偶然の出会いも手にする。
これは研究所の決定的な価値でもある。たとえば1972年に、ヒュー・モンゴメリーはプリンストンのフルド・ホールで、たまたまフリーマン・ダイソン(いまでもよく同ホールに現れる生きた伝説)といっしょにお茶を飲んでいた。モンゴメリーはダイソンに、リーマン予想――最も偉大な、かつ未解決の数学問題のひとつ――に取り組んでいる話をした。
そしてリーマン関数のゼロ点の配分についての自身の見解を黒板に書いてみせた。ダイソンは驚いて目を見張った。黒板の式は、彼が発見した原子核のエネルギー間隔を表す数式とまったく同じだったのだ! こうして20世紀で最も重要なもののひとつとされる、数学と物理学の接点が見つかった。
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