21歳地下アイドルが悟った仕事観と対人関係 「自分とは合わない人」を断って見えてきた
私は心のどこかで、いつか自分はまったく違う人間になるのだと思っていました。でも、結局私は、私としてしか生きられなかったのです。
生きていく世界が変わったからといって、私は別の人間になれるわけではありません。最初からただ、自分の想いを大切にして、自分にできることを、できる範囲でやっていくしかなかったのです。
それに気がついたのはよいのですが、自分らしさとはなんでしょう。私は地下アイドルの世界で自分らしく生きていくために、高校受験のときにも、アルバイトの面接でも聞かれたような、自分は何が得意で不得意か、何が好きで嫌いかといった考えにやっと立ち返りました。
地下アイドルの自分と私生活の自分を重ねていくことは、地下アイドルのときも自分らしくいるために重要な作業のように思えました。
それに気づいてからは、「゚*☆姫乃☆*゚」という名前も「姫乃たま」へと改名しました。名字と名前は両方あったほうが本来の自分に近くなると考えたからです。
意味を持たない張りぼてだった名前から、意思のある名前へ。
私はこうした作業を経て、地下アイドルの世界に腰を据え始めました。
自分の嗜好に合った活動
復帰してからの私は、できるだけ自分が興味を持てる面白い仕事を選ぶことにしました。
普段は聞いていないアニメソングを歌うのも、それを本当に好きな人たちに失礼なので、岡村靖幸の「だいすき」とか、自分の好きな楽曲を歌うようにしたのです。
ライブが盛り上がるようにアニメソングやアイドルソングを意識して作っていたオリジナル曲も、お客さんが無理にヲタ芸を打たなくてもよい雰囲気の楽曲に変えていきました。
最初はヲタ芸を打てないことでファンの人たちが離れていかないか不安でしたが、彼らは変わらずに応援を続けてくれました。また、自分に合ったオリジナル曲を歌うようになったことで、それを好む新しいファンの人も応援してくれるようになりました。
いままでお客さんは、私ではなくてカバー曲が好きなのではと思っていた自分を恥じる経験になりました。
同時にブログの文章も、地下アイドル独特の「隙を持ったツッコミどころの多い文章」(そうしたほうが人気は出やすいようだったのです)というセオリーを捨てて、自分が書きやすい文体に直していきました。
私は活動休止する以前から、ある雑誌でコラムを書く仕事をしていたのですが、そちらは元から普通の文体で好きに書いていて、お気に入りの連載だったからです。
初めて担当になってくれた編集さんのことも、雑誌自体もとても好きで大切に思っていましたが、私が活動を再開して少し経った頃、ふと休刊になってしまいました。とても、悲しいことでした。
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