21歳地下アイドルが悟った仕事観と対人関係 「自分とは合わない人」を断って見えてきた
私はその気持ちを何よりも文章にしたくて、公開するところもなかったので自分のブログに掲載したところ、驚くべきことに、ブログへのアクセスが急激に増えて、出版社から連載の依頼が舞い込んでくるようになったのです。
月の連載はあっという間に10本を超え、多いときには20本になりました。
この頃からライプへの出演と同じくらい、文章を書く仕事にも比重を置き始めます。
それからは、地下アイドルをまったく知らない人も、私の文章を読んでライブに足を運んでくれるようになりました。
初めてライブに来て、ヲタ芸ができなくて不安な人のために安心して普通に聞くことができるオリジナル曲を用意するのは、私にとっても、とても楽しい作業でした。
活動の内容を自分らしい方向に変えたことで、私の好きなものを好きだと言ってくれるファンや関係者の人たちが現れて、私の文章を世に出してくれる編集さんたちにもたくさん出会うことができました。
私はまったく違う人間には生まれ変わることができませんでしたが、自分の嗜好に合った活動をすることで、ほかの地下アイドルの女の子たちと競い合う機会もなくなりました。
ほかの人とまったく同じ人は存在しないので、自分の想いを尊重したほうがよっぽど、人と競い合う必要はなくなることに気がついたのです。
そうすることで結局、忙しさは活動休止前と変わらなくなってしまったのですが、精神的につらい時間は、前よりもずっと減っていきました。
外の世界に自由に手足を広げられるような感覚
復帰してからさらに3年が経った頃、初めての単著である『潜行―地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー)と、初めての全国流通になる『僕とジョルジュ』というCDが発売されました。
文章を書く仕事は、地下アイドル業界の中から情報を伝えるとともに、私自身も外の世界に自由に手足を広げられるような感覚がありました。
また、ライブハウスでCDを手売りしていた頃は、音楽系のニュースサイトや雑誌から取材されることは滅多にありませんでしたが、『僕とジョルジュ』の全国流通をきっかけに、どのリリース情報も多くの媒体に取り上げられるようになりました。
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