児童書「モモ」はデキる大人の心にこそ刺さる あなたも「灰色の男」の餌食になっていないか

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それでは、物語を見ていきましょう。『モモ』は構成がとてもしっかりしています。子どもによっては読むのが長いと感じるかもしれませんが、読み通すことができれば、本をしっかり読む癖がつきます。『モモ』がおもしろいと思ったら、次は、『ナルニア国物語』(全7巻)にスッと行けるようになるでしょう。

主人公は、モモという女の子です。モモは受け身で、そして少し不思議な感じのする女の子です。モモは、町外れにある廃墟になった円形劇場に住み始めました。近所の人たちから温かく受け入れてもらいます。そしてモモは、いつの間にか近所の人たちにとって欠かせない存在になります。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。
(23ページ)

 

近所の人たちは、かわるがわるモモのところに来ては、話をするようになりました。そして、誰もがモモに向かって話をしているうちに、自分で答えを見つけていく。

エンデが傾倒した、シュタイナーの教育理論

教育には、大きくわけて二つの考え方があります。一つは、人間は空っぽの器だからいっぱい教えてやらなあかんという考え方。もう一つは、教育とは人間が本来持っている力をいい形で引き出すことだという考え方です。

作者のエンデはおそらく後者でしょう。彼は、ドイツの哲学者・シュタイナーに傾倒していました。シュタイナーは、独自の教育思想を打ち立てその実践に力を注いだ人物で、子どもが本来持っている力を引き出そうという考え方を持つ人です。著者自身もそういう考え方だったからこそ、シュタイナーに傾倒したのでしょう。モモの話の聞き方もそうでした。

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。
(23ページ)

 

そろそろ時間の話に入りましょう。床屋のフージー氏は、お客さんが来るのを待っていたとき、不意にこんなことを考え始めます。

「おれの人生はこうしてすぎていくのか。」フージー氏は考えました。「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。おれはいったい生きていてなんになった? 死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」
(85ページ)
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