児童書「モモ」はデキる大人の心にこそ刺さる あなたも「灰色の男」の餌食になっていないか

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大人も読み進んでいくうちに、「あれ? 自分はこれでいいのかな、灰色の男にだいぶやられているな」と気づくかもしれません。このフレーズを読んだお父さん、お母さんは、きっと子どもに「はよ、勉強しなさい」「はよ、食べなさい」などとは言いにくくなるはずです。

時間と空間は、そういう意味では同じです。狭い部屋で一分の隙もなく、無駄なく合理的にベッドも椅子やテーブルも配置してあるような部屋は、コンパクトに整理されている反面、リラックスできません。ちょっとくらい整理整頓されていなくても、どこに寝転がってもいいような部屋のほうが人間はリラックスできるのです。

時間にも空間にもボーッとできる余裕がないと、良いアイデアなど生まれようがありません。凡百のビジネス書にはよく、「自分が何に向いているのか、自分は何をしたいのかをはっきりさせなさい」などと書かれています。それがわかったほうが、人生が効率的に回ると。自分の適性がわかっている人はそれでいいのですが、僕が見ている限り適性がわからない人のほうが実ははるかに多いのです。

効率にとらわれると、大切な方向を見失う

効率にとらわれると、かえって大切な方向を見失います。テニス選手の錦織圭さんのように特別な才能のある人間なら、「僕はテニスをやればいい」とわかるかもしれませんが、歴史的に見てもほとんどの人間はやりたいことがわからないまま、偶然どこかに勤めて、偶然誰かと結婚して、そのまま死んでいくのです。

それで十分なので、自分が何に向いているのかとか、自分は何をなすべきかとかは、別にそれほど大事なことではないと思うのです。もっと自然に、川の流れに流されて生きたほうが人生は楽しい。

灰色の男はモモに向かって次のように言いました。

「人生でだいじなことはひとつしかない。」男はつづけました。「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金もちになった人間には、そのほかのもの──友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでにあつまってくるものだ。きみはさっき、友だちがすきだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」
(141ページ)

 

エンデはこの作品を通じて、何かに追われる人生は本当に楽しいのかと、現代の高度産業社会を徹底して批判しています。

『モモ』を読んだ子どもたちは大人ほどには、エンデの批判的な視点には気づかないかもしれませんが、毒は心のどこかに確実に残るはずです。

この『モモ』という作品は、1973年の発売当初、ドイツ国内の文化人から「ノンポリ的逃避文学」として非難されました。

当時は第二次世界大戦からの復興が成し遂げられて、経済が高度成長していた時代です。だから、勤勉で一所懸命働くプロテスタントのまじめな人々の神経を逆なでしたのでしょう。暮らしそのものが科学技術の進歩によってどんどん合理化されて、無駄な時間が減って、みんなが豊かになるのは何が悪いのかと。でもエンデはさらにその一歩先を見ていた。

読みの浅い人には、サボタージュを推奨している物語だと映ったのかもしれません。のんびりが一番なんてけしからん、と。

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