二流の謝罪者とは、反省を演じているように見えて、結局は自己弁護にあふれているものである。
豊田議員は記者会見では、「いいひと路線」で謝罪会見を開こうと努力していたのであろう。ところが、最後の記者からの質問に対して「一部を切り取って報道した!」などと怒気ばむシーンも見られた。
二流の人ほど「自己弁護」「かわいそうアピール」に走る
【5】「実は理由があったのだ」と自己弁護
用意していた謝罪プレゼンは涙の迫真の演技だが、質疑応答になると「怒りの本音」が噴出することも、二流の謝罪者の特徴である。
元秘書が、「いろんな失敗を、わざとではありません、と話すので、それに対し、わざとでなければ許されるのか、その例示としてあなたの娘が巻き込まれて謝られたら許されるのか、という主旨で話したのだと、元秘書は理解している。お嬢さんを脅迫しているわけではない」と強調していたが、このシーンではかなり語気を荒らげており、最後の最後に「元秘書が悪いんだ」という本音が出た感じをぬぐえない終わり方であった。
【6】「かわいそうだけど、再チャレンジする自分」をアピール
二流に転落した謝罪の最後の特徴が、なんといっても「可哀そうな自分アピール」である。
「体重が減ってしまって」「生きていても仕方ないと思って」「脅迫状も受けているし、怖い思いをしている」などなど、かわいそうな自分を大アピールする人々。
「私はもともと自分に自信がなく、自己肯定感が低く、なんでもすごく頑張らないと自分はここにいてはいけない、自分をエリートだとも立派だとも思ったことはなく、まだまだまだまだと思って生きて仕事してきた」という発言からも、「自己肯定感が低く頑張っている私」を強調する狙いが透けて見える。
揚げ句の果てに、辞任を尋ねられても「辞めるほうが楽だよ、でも恥をかいて表に出るのも私の役割」などと、これまた「けなげに頑張る自分」のアピールに変えるのだから、私もあんぐり開いた口が、まったくふさがらない。
さらには追撃砲で、「一度失敗を犯したら、再チャレンジできない人生はおかしい」などと、これまた「世の中の失敗者に希望を与える存在」であるかのようなアピールをするところが、すごすぎるではないか。
「過去は変えられないけど、未来は変えられる。失敗や過ちをして今後失敗した人がもう一度頑張れるように、私も頑張る」という壮大なご決意に、大いなる違和感を覚えた人は少なくないだろう。
「それはそれでいいのだが、辞任してから再出発するのが筋ではないですか」と。
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