まずは、オフィスワーカーの基本である「資料」を見た途端にバレるのが、「文字が細かすぎて、こんなもん誰が読むんや!」という配慮のなさである。
情報量は多くても「読む人への配慮」を忘れない
几帳面すぎる人にかぎって、どうでもいいような内容まで、ビッシリ資料に書き込もうとする。矯正視力が1.0以下の人にも読みやすくなるようなスペースや改行の工夫はなく、新聞の紙面に負けないくらい細かい文字でびっしりと書き込んでいくのだ。
こういう几帳面で、どんなさまつな情報でも「しっかり読み込むマジメ人間」の場合、このような「細かい文字がびっしりの不幸で残念な資料」が出来上がる。
しかし、このような「他人の視力を考えない文字が細かすぎる資料」を作っているかぎり「他人の気持ちがわからない人だ」と後ろ指をさされてしまっても、仕方がないのだ。
細かすぎる文字を書き、「これを読め」と最後通牒を突き付ける時点で、コミュニケーションセンスがない、「細部への配慮が欠落した二流の仕事人」に転落していることが、すっかりバレてしまうのである。
次に「資料の細部」でバレてしまうのが、文章のところどころで違うフォントの文字が混ざり込んでしまっている、「大ざっぱさ」であろう。
シンプルな「MS明朝」で書くのが会社のフォーマットでも、いつの間にやら「MSゴシック」になってしまう、残念な人々。挙げ句の果てに、よく見ると斜体になっていたり、ランダムに太字で強調されていたり、謎のカラー文字になっていたりと、フォントが意味もなくコロコロと変わっていく。
そういう「二流の資料」を作る人にかぎって、「サイズの基本は10.5ポイント」なのにもかかわらず、勝手に14ポイントになっていたり28ポイントくらいに巨大化していたり、英字のフォントも「Arial」だったり「Century」だったりとやたらと変わり、フォントにも統一感を持って仕事をすることができない。
フォントの統一感を気にしないことで、その人の「致命的な大ざっぱさ」がバレてしまい、細部に「ポツン」と違うフォントの文字が、その人全体の「大ざっぱな印象」を与えまくってしまうのである。
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