甲子園決勝で「出番なし」の悔いが変えた人生 元近鉄「ピッカリ投法」、佐野慈紀氏の転機

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140キロまで球速を伸ばす。全国大会で1勝する。練習でいっさい手を抜かない。そして、プロ野球選手になる。

この4つの目標を掲げて、佐野は、より真剣に野球に取り組むようになった。「自分の実力がどれほどのものなのか。野球選手として通用するのかどうか。リーグ戦では負けなしでしたが、全国で勝って自分の力を証明したいと考えました」。

エースの佐野が率いる近大工学部は春季リーグ戦で優勝を飾り、全日本選手権出場を果たした。神宮球場で対戦したのが、東京六大学リーグを制した早稲田大学。松山商業時代のチームメイトだった水口が主将をつとめていた。

負けたけれど「やり切った」と思えた

「早稲田に負けて、全国で1勝するという目標は果たせなかった。でも、『やり切った!』という思いがありました。そして、社会人野球のチームからいくつかお誘いもいただき、大学を卒業後も野球を続けられる状況ではありました。夏休みが終わったころ、監督に呼ばれて『プロ野球についてはどう考えてる?』と聞かれ、『行けるなら行きたいです』と答えました」

運命の日。その年のドラフト会議の目玉は史上最多タイの8球団から指名された小池秀郎(亜細亜大学)だった。佐野は、ドラフト当日を思い返す。「自分の部屋で連絡を待っていたら、『いますぐに学校へ来い』という電話がかかってきました。近鉄の3位指名と知らされ、『まさか』と。ドラフト前にテレビやスポーツ新聞の事前の報道を見ても、私の名前が大きく掲載されることはありませんでした。全国的に知られた名前ではないので仕方ないと思っていたのに、3位指名でしたから」。

近鉄の2位指名はかつてのチームメイトの水口だった。高校時代に控え投手だった佐野の努力は、ドラフト3位指名という形で報われたのだ。「それまではずっと、高校時代に補欠だったことがどこかに引っ掛かっていました。でも、これで胸を張って野球ができると思いました」。最後の夏に悔し涙を流し、新しいスタートを切る決断をしたことが見事に実を結んだ。

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佐野はプロ1年目の1991年に38試合に登板し、6勝2敗2セーブ、防御率3.82という成績を残す。翌1992年は31試合に登板して、4勝2敗1セーブ、防御率4.12。以降、1シーズンを通じて、コンスタントに40試合以上登板するセットアッパーの地位を確立した。

プロ7年目の1996年には57試合に登板して、5勝3敗7セーブ、防御率2・95をマークして、中継ぎ投手として史上初めての1億円プレイヤーになった。

その後、バファローズから中日ドラゴンズ、アメリカ独立リーグを経て、オリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)でプレイしたのち、2003年に現役を引退。現在はプロ野球解説者として活動しながら、独立リーグの石川ミリオンスターズの取締役を務めている。

プロ野球OBが集まるサントリードリームマッチなどで、振りかぶる弾みで帽子が脱げて、はげた頭が登場する「ピッカリ投法」を披露し、喝采を浴びることもある。

今年も夏の甲子園で幾多のドラマが生まれる。人知れず悔し涙に暮れる選手の中にも、あのときの佐野のように「未来のエース」になる誰かが、きっといるに違いない。

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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