英語より「問答力」!元外資系パパの教育哲学 習い事漬けの子どもでいいの?

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もうひとつの寛容性ということで言えば、家庭で定期的に留学生を受け入れるというのは、異文化理解として格好の機会だ。

「僕は30歳を過ぎて米国に行き、留学経験もないので確かに英語では苦労してツラい思いもしましたが、仕事上のコミュニケーションは半年もすれば何とかなりました。そんな経験から語学教育について思うのは、寛容さを試される経験を通じて、異なる言語を使う意欲を感じるのがカギだということです。

たとえ2泊の短いホームステイであっても、相手を理解しようとするオープンさがあれば、言葉や習慣の違う留学生と友達になれます。そういったコミュニケーションのツールとして外国語を学びたいと思ってくれたらうれしいですね」

堀内さんの長女は現在、自宅から通える中高一貫校に通っている。校風が気に入り、1科目だけで受験できる制度を利用して挑戦、見事合格した。受験はその1校のみ、不合格だったら公立中学校に進むつもりだったという。自分から受験したいと言い出さなかった長男は公立中学校に進学し、部活動に励んでいる。

堀内さんはそもそも、子どもの日常を習い事で埋め尽くすことにも慎重だ。2人の子どもがやってきた学習系の習い事は、なんと小学校高学年からのオンライン作文教室のみ。「どこの国で暮らしていくにせよ、考える能力の基礎として言葉を扱う力があれば、将来、どう転んでも学んで損はないだろう」という判断からだ。

ちなみに、中高一貫校に通う長女は、その「作文力」で合格を勝ち取った。勉強漬けでなくても、本人の意思の力と考える力とで、道を切り開けているというのは興味深い。

「健全な不安感」を子どもたちに覚悟させよ

少しの時間と手間をかけて子どもと向き合い、会話を重ね、時に見守る――。忙しさを理由に、あるいは子育ての「成果」を求めるがゆえに、子どもを塾に、習い事に、高額な教育機関へと委ねがちな昨今の風潮とは対照的だ。

「大学を出るまでは、決められた土俵の上で同じことをどれだけうまくできるかで勝負できていたのに、社会で求められるのは『独創性』。そこに、ねじれと言いますか、学校教育が提供しきれていないものがあるように思えてなりません。だとすると、同じ土俵に乗るためだけに時間を費やすのは何とももったいない。学校も大事には違いありませんが、受験の負荷に見合うだけのものが得られる気がしません」

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