貸切も高速も「プレミアムバス」が増えるワケ 規制緩和に揺れたバス会社たちの生き残り策

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しかしサロンバスや2階建てバスに象徴される“超デラックス観光バスブーム”は1980年代末で終わりを告げる。その背景には華美を戒める行政の指導や2階建てバスの横転事故があったが、何より消費者の興味が一巡して、稼働率が下がったことが大きい。

そしてサロンバスから”潰しが利く車両”への回帰が目立つようになった。すでにマイカーが普及しレジャーも多様化、団体の慰安旅行は大幅に減少。1990年ごろからはもう1つの柱だった学生輸送も、少子化の影響で学級数が減ったほか、修学旅行では「班別行動」と称してタクシーで回る例も増え、ますます貸切バスの活躍の場が減っていった。

会員募集型バスツアーの誕生

その結果、旅行業界は企業や町内会などの団体旅行から、不特定多数の乗客を束ねる会員募集のバスツアーに軸足を移す。ツアー内容を紹介したパンフレットや新聞広告で参加者を募集する、いわゆるメディア販売が1990年前後から普及する。

電話1本で申し込みが完結する容易さは中高年者の人気を集めた。それまでも貸切バスの需要が一段落する旧盆や年末年始に「帰郷バス」などの会員募集はあったものの、年間を通じた募集旅行の隆盛で貸切バスは新しい時代を迎える。

しかしメディア販売は、消費者にとって商品内容が一目瞭然になり価格競争を招きやすい。しかもバスの仕入れ代金は消費者には見えないため、事業者にシワ寄せが及ぶ。会員募集のバスツアーの隆盛は、それまで対等だったはずの旅行会社とバス事業者の関係を変化させた。

貸切バスは季節による需要変動が大きい。目的地や勤務時間が毎日異なるうえ、道路や気象に対する知識も必要で、接客も重要な業務だ。

そのため、政府は貸切バスの需給調整を行うことで、シーズンオフの稼働率や高度なノウハウを備えた乗務員に配慮していた。一方で新規参入を志しても既存の事業者のほかは申請が通らない、典型的な“岩盤規制”でもあった。

この需給調整は2000年に撤廃され、新規参入事業者は急増した。旅行会社にとっては選択肢が増大し、価格競争に拍車がかかる。老舗の貸切バス事業者もコスト削減に取り組んだ。ノウハウを蓄積したベテランドライバーが去り、新人ドライバーが不慣れな道や厳しい勤務体系の中、歯を食いしばって乗務する構造が生まれた。

最悪の結果が、2007年に大阪で起きたスキーバス事故である。連続勤務が続いた影響であろう、終着地間近の高速道路の支柱に衝突した死傷事故だ。2016年に起きた軽井沢のスキーバス事故も、大型車に不慣れなドライバーによって多くの死傷者が出た。

これとは別に、旅行会社が企画・募集し貸切バスを使用する、都市間輸送(=高速ツアーバス)が2000年ごろから増えていった。この種の輸送は古くからあるが、インターネットを使った低コスト戦略によって、都市間の経済的な移動手段として、若者を中心に需要を開拓した。

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