ハーバード大に「人種差別疑惑」が生じる現実 人種問題はあまりに複雑になってしまった

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人種問題は複雑になりすぎている(写真:じゃぱねっと / PIXTA)

今年5月、あるニュースが世間を驚かせた。それはアメリカの名門校、ハーバード大学が人種に基づき卒業式を分けて実施するというものだった。ネットは大荒れ。「老舗の大学が、まるで差別を肯定するような卒業式を行うなど言語道断」と、大変な騒ぎようだった。

しかし、どうもうさんくさい。「本当か?」と思って調べたが、案の定。こうした話には必ず尾ひれがつく。ことの真相は、アフリカ系の学生たちが自主的に「アフリカ系コミュニティ」独自の卒業セレモニーを開催するという話が、歪曲されて広まっただけだった。

多様性の寛容性が失われている

確かに「アフリカ系オンリー」のセレモニーは存在したが、こうしたコミュニティごとのセレモニーは、別にアフリカ系に限ったものでもなく、事実は似て非なるものだったわけだ。学校が人種に基づき卒業式を行うということは、デマでしかなかったし、学校側は「学校が主催する卒業式も、コミュニティセレモニーも、参加する、しないは個人の自由」としていたのだから、大学にとっても迷惑な誤報でしかなかっただろう。

ちなみにこの誤報の元は、フェイクニュースとして知られている「デイリー・ワイヤー」の5月8日の記事のようだ。メディアの名前を聞けば納得。本当に毎度のことながら、「いい加減なニュースを流すのは、いい加減にしてほしい」とため息しか出ない。

ただ、アメリカ社会が現在、必要以上にマイノリティ問題に過敏になっていることは否めない。そして、それをフェイクニュースが必要以上に煽る。人種や宗教、出身国などの多様性がこの国の力のはずなのに、世の中にあふれるさまざまな差異は力になるどころか、それぞれに対する「寛容性」は完全に失われているようにも感じる。

現状を正しく表現するなら、この国は多様なのではなく、「単なるバラバラ」という感じだ。先の例をとっても、アフリカ系コミュニティに属する学生たちが、自分たち独自の卒業祝いのセレモニーを行うことが、どうして穿った見方しかされないのか。

もちろん、そこにはこの国に根付く根深いアフリカ系への人種差別問題が介在するのは明らかだ。同じコミュニティの者が共に門出を祝うことには、本来何ら問題はないはずなのに、「アフリカ系」ということだけが先走りし、セレモニーの背景にさまざまな問題や思惑があると疑われかねない、不誠実な報道のされ方がなされた流れは、フェアとはとても思えない。

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