ハーバード大に「人種差別疑惑」が生じる現実 人種問題はあまりに複雑になってしまった
彼は白人であるために、ほかの人種にはわからない痛みもあるのだと話し、「この国は白人に関すること、キリスト教に関することには自虐的なんだ」と嘆く。「たとえば」と言って彼が話してくれたのは、昨年のクリスマスの出来事だ。彼の息子の通う小学校では「世界の年末年始の過ごし方」という授業を行ったというが、イスラム教やユダヤ教、仏教の新年の祝い方は取り上げられたのに、そこではなぜかクリスマスだけが授業内容から外された。
敬虔なクリスチャンである彼は、すかさず学校に「なぜか」と理由を問い合わせたが、学校側は「人種や文化の多様性を理解するための授業をなぜ非難するのか」と冷たくあしらい、まるでジョージさんを人種差別主義者のように扱ったという。
「白人でいることが面倒になる」
ドナルド・トランプ大統領の存在が、「白人ナショナリズム」の台頭を危惧する声になっているために、白人でいることが面倒になる、とさえ彼は言う。自分の社員に対する対応でも、昔のようには簡単にできない。たとえ仕事のパフォーマンスの問題を指摘するだけでも、彼が白人であるがゆえに何でも差別ととられてしまうことが続いている。
「私は社会還元活動もまじめに行う善良な市民だ。しかしどんなに自分が努力しても、経営者で白人というパワーを持った者についてまわる偏見、リベラルではないという偏見から、ジム・クロウ法時代の奴隷法支持者のような扱いをされることに堪えられない」とため息交じり。マイノリティが発言したら支持されるようなことでも、白人が発言すれば「差別」になりかねない。「人種問題は複雑になりすぎて、人種間が共有できる良識や常識はないのだ」とジョージさんは憤慨している。
世界には未来に引き継ぐべきではない特定人種への差別や民族迫害などの悲しい歴史がある。過去は変えられないが、未来はいくらでも変えられるはずだ。しかしどうにも新政権発足後、すべてのバランスが不安定になってしまっているような気がしてならない。ポジティブな変革が何より必要だと思うのに、人々の心はその方向に向いていない。人々は一様に何かに抵抗し、時に何かを恐れ、誰かの意図によって解決できないほどの誤解があちこちで生まれている――そんな調子だ。
筆者にとって、政権交代の節目にアメリカにいるのは初めての経験だが、この国では政権が変われば、何もかもが変わるということを、日々感じている。未来を建設的に創りかえるために、私たちは今何をすべきか、そんなことを考えずにはいられない。
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