15分ほどで一通りの説明を終えて、作業に移る。鉄板やガラス板の上で、岩石チップを研磨する。地味な作業が続く。指先にどれくらいの力をかけるのがいいのか、手探りで作業を行う。「ざらざら」とか「滑らか」とか、かなりあいまいな表現だ。科学実験において、どういう状態が「ざらざら」で「滑らか」なのか、友達の作業と比べながら、身をもって知る。
きめの細かい研磨をかけて、つるつるになった岩石チップをなでて、「この感触気に入った!」と叫ぶ生徒もいる。蛍光灯に照らしてみて、「え、これ、本数見えてるの? 見えてないの?」と自分では判断できない生徒もたくさんいる。そしてやはり、やってはいけないと言われていたタブーを犯す生徒もいる。たくさんいる。だが、それも経験である。失敗から「なぜ?」を考えればいい。
本物に触れる教育
指先の微妙な力加減、研磨面の滑らかさ、仕上がりを確認するときの微妙な角度と光の反射……すべてが生徒たちの感覚にしみ込む。
これが武蔵が旨とする「本物に触れる教育」だ。
科学教材を購入し、顕微鏡でのぞき込むだけでは、この感覚は得られない。ましてや、資料集で鉱物の拡大写真を見るだけでは、その宝石箱のような輝きと、鉱物の重さ、手触りなどのリアリティが結び付くはずもない。
これらの体験すべてが、生徒たちの体の中に原体験としてすり込まれ、発酵し、目には見えない教養となり、人生を豊かにしてくれるのだ。
「岩石薄片のプレパラートづくりに6〜7週かけます。さらに観察で3〜4週かけます」(川手教諭、以下同)
これを「効率が悪いマニアックな授業」と見るか、「教科書を読むだけではわからない貴重な体験を得られる授業」と見るか。前者と思うなら、武蔵には来ないほうがいいのかもしれない。
「最終的に、大人になって、何かを選んだり、決断したり、判断したりというときに、 『何かいかがわしい』というにおいを感じたり、『意図的に作られたもの』を見抜いたりする力が身に付いているかどうかなんですよね。そういう感覚を身に付けるためには、やっぱり泥臭いデータの積み上げをどれだけ経験しているかどうかが肝心なんだと思います」
理科によって養われるのは理科に限った能力ではない。本物と触れることで本物を見抜く力が養われるというのだ。
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