「脱サラしてパン屋」になった人たちの事情 人気商売だが苦労も少なくない

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しかし、その後がある。なにしろ、パン屋はハードワークである。立ち仕事で腕力、体力共に必要で、労働時間も長い。夏場など売れにくい時期もある。目新しい商品がないと飽きられるおそれもある。なぜ、そのようにハードでリスクが高いビジネスに、あえて挑戦する人が多いのだろうか。

実は冒頭の佐藤氏が、パン技研に駆け込んだのは、2014年9月。転勤で群馬県に単身赴任になり、子どもたちは他県の大学、佐藤氏が群馬県、妻は地元と家族全員がバラバラに暮らす事態になり、家族を犠牲にする働き方に疑問を抱いたことが背景にあった。ほかの学校も調べたが「商売でやっている感じだった。ここは大手の山崎製パン社員などプロの人にも教えるから」と同校を選んだ。

タネが膨らむ仕組みを知らなかった

會ベーグル店内の様子。今後は企業の社食用に卸すなどして販路を広げたいと考えている(写真:筆者提供) 

実は佐藤氏、パン教室に通った経験はあった。しかし、手順だけを教わった当時は「タネがなんで膨らむのかわからなかった」。それがパン学校で初めて、発酵のためと知る。

学んだ理論や実習のほとんどはベーグル以外のパンについてだったが、「パン全体の中でベーグルをとらえることができる。季節によって生地が柔らかくなったり、硬くなることもあるなど、多角的に学ぶことができた」。人脈もできた。寮で同室だった仲間とは今でも連絡を取り合い、励まし合う。開業の際、手伝いに来てくれた仲間もいる。

退職は2014年6月末。9月からパン学校に通って12月に卒業。2015年前半は、試作の日々。幸い、家には発酵用に30℃に設定できるオーブンがあった。できるかぎり地元のものを使いたいと思ったが、会津の強力粉ではイメージどおりの食感が再現できず、結局モチモチ感がよく出る北海道のキタノカオリに落ち着いた。

1300万円の開業資金は、主に会津商工信用組合の融資から。実は高校卒業後8年間勤めた先で、地元振興につながる開業に理解があった。退職金を預けていたのもよかった。JR会津若松駅周辺の商店街内という理想的な立地で店も見つけることができ、開業に至る。

「最近はお年寄りも『ベーグルね』とわかってくれている」と手応えを話す佐藤氏。県内のほかの地域からわざわざ来る人もいるなど、客層は広がっている。宣伝はSNSでしか行っていないが、趣味でバンドをやっていることもあり、店内のカフェで開くライブイベントも集客のきっかけになっている。「バンドが来てライブをやっているときは、この店をつくって良かったと思うんです」としみじみ語る。

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