最後に喫茶店でバレてしまうのが、いつも同じ喫茶店の同じ場所に座っていて、「実は、ほかに行くところがない」ことである。
私がよく行くシンガポールのロバートソンウォークにある、某喫茶店の話だ。
そこでは、朝から夜の閉店間際まで、ひたすら同じソファに座っている、もはや「主(あるじ)」と化している、二流のお客さんがいる。
彼はどんなに混んでいるときでも、周囲になんら遠慮するそぶりもなく、断固たる意志で、アイスコーヒー1杯で何時間も粘っている。
このような、絶対に帰ってくれない「主」と化したお客さんは、通勤時間に押し寄せる大量の客とともに、涼しげな顔で入店してくる。
しかしながら、ほかのお客さんとの最大の違いは、入店したあとに、決して退店してくれないことである。
「聖地」を奪還するため、隣で待つ
彼らはたいてい、パソコンを開いて仕事をするでもなく、本を読んで何かを学ぶでもなく、友達と語らって社交に興じるわけでもない。彼らがすることはただひとつ、「そこに存在する」だけなのだ。
たまに私が制裁を加えるべく、開店直後に入店して彼らのお気に入りのソファに座ろうものなら、もはや最後。いつか「聖地」を奪還するために、すぐ隣に座って待つのだから、もはやお手上げ状態といって差し支えないであろう。
とにもかくにも、同じ喫茶店に、いつ行っても同じソファに「主」のごとく居座ることで、「ほかに行くところがない、寂しいオジサン」であることがバレてしまうのである。
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