「失敗国家」北朝鮮には、対話と交流が必要だ 「粛清の王朝・北朝鮮」著者の羅鍾一氏に聞く
――少し時代をさかのぼると、故・金正日総書記が「もう一回の世襲による権力継承はない。金の家門は以降、国家の伝統制とアイデンティティを担保する、象徴的で人民の忠誠の対象としてだけ、残すようにする」と周囲に述べたと紹介されています。これについて「彼が言った方式はいわば日本の天皇制に類似するものだった」と指摘されています。
羅:この情報は、かつて私が国家情報院にいたときに入手した、信じるに十分な発言として記憶に残っています。当時の韓国の金大中大統領にも伝えたのですが、金大統領はそれを聞いて「そんなことが実現できるのか」と笑いながら、信じられないという表情でした。
ただ、そのように金総書記が考えていたのは、確実だと思います。ところが、情勢の変化や自身の健康問題など状況が変わり、結果として世襲をせざるをえなかったのではないか。王朝を維持していくためにはどうしたらいいか。日本の天皇制は一つのモデルケースだと金総書記は考えたのでしょう。日本の天皇制のように、天皇は政治に介入しない。いわば、実質的な権力を持っていないからこそ、皇室は永続できる。欧州などの王国を見ても、それはわかります。「金の家門」を残すには、それしかないと考えたのでしょう。
金の家門を残すために天皇制も参考にした
ところが、金総書記も父親である金日成主席がつくった体制から逃れることはできず、それを変えることもできませんでした。金日成・金正日ともに、権力の強化だけを考えて、権力を分散し、バランスを取りながら国家を運営するという体制をつくれなかった。このような体制では、一度権力を誰かに渡すと、権力争いなどの必ず危機が生じます。したがって、金総書記も自分の息子に権力を渡すしか、手がなかったのでしょう。
それに気づいた金正日は「後継者論」まで出して、世襲を正当化するようになります。後継者としては、首領の思想を理解しているか、国家への貢献はどうか、血筋はよいか、ということを挙げて、それらの条件に合うのは金正恩党委員長しかいない、という論理を構築し、結果、世襲を行いました。
――1990年代以降、旧ソ連・東欧圏の崩壊があり、北朝鮮を取り巻く環境も激変していきます。中でも、それまで北朝鮮を支えていた社会主義の理想は、国民に何の恩恵も与えることができない姿へ転落していきましたが、この転落ぶりを張成沢も痛感していたと本書で紹介されています。
羅:張成沢は欧州などの様子を見て、自国の状況を確実に理解していました。経済難が続き、社会主義経済の根幹とされてきた配給も、滞るようになりました。同時に住民統制も厳しくなっていきます。社会主義下での共生という理想は消えて、軍事的なファシズム体制へと変わっていきます。いや、ファシズムより、ひどいかもしれません。北朝鮮には信仰の自由はない。ナチスドイツでさえ、教会など宗教には、それほど手を付けませんでした。
現在の北朝鮮には徐々に、市場経済的要素が入ってきていますが、これによって最初に恩恵を受けるのは権力層です。となると、所有権を持つ人々が限られ、富の偏在や所得格差が生まれます。そして不正腐敗も広がるということです。
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