「退位した天皇」は歴史上、何をしていたのか

「5パターンある」のを知っていますか?

ただし、平穏な余生を送った上皇ばかりではありません。

【退位後の天皇・その4】天皇と対立して敗れた

平安時代初期の「平城(へいぜい)天皇」は、もともと病弱だったこともあり、病により在位3年・34歳の若さで弟の嵯峨天皇に譲位して上皇となりました。

ところが、上皇になるとにわかに健康を回復し、かつての都だった平城京に宮殿をつくり、側近とともに天皇と対立するようになります。

これを天皇が征伐したのが、810年の「平城太上天皇の変(薬子[くすこ]の変)」と呼ばれる事件で、敗れた平城上皇は出家し、不遇な余生を過ごしました。

【退位後の天皇・その5】抗争に敗れ、流罪になった

最も不運だったのは、抗争に敗れて流罪になった上皇でしょう。

鎌倉時代初期に院政を行った「後鳥羽上皇」は1221年、幕府を倒そうと「承久の乱」を起こします。しかし、幕府軍に敗れて隠岐に流され、没するまでの18年をわびしくかの地で過ごしました。この承久の乱では、先述した「順徳上皇」も佐渡に流され、崩じるまでの21年を過ごしています。

流罪になった上皇はほかにもいて、先述した「保元の乱」で敗れた「崇徳(すとく)上皇」は讃岐(さぬき)国(香川県)に流されて幽閉。世を恨みながら8年後に悶死したとされ、死後は怨霊としておそれられました。

今上天皇は正真正銘の「象徴天皇」

ところで、今上陛下は、日本で最初の正真正銘の「象徴天皇」です。即位にあたって、自ら憲法を遵守することを国民に誓約されました。

これは、どんな意味でも天皇は「超越的」な存在ではありえない、天皇といえども憲法の制限のもとで活動するということを、公に確認されたことを意味します。

実は日本の歴史にあって、これは「画期的なこと」なのです。

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