「退位した天皇」は歴史上、何をしていたのか 「5パターンある」のを知っていますか?
今上陛下が憲法を守ると誓約したことが、なぜ画期的なのか。
それは、日本では古代から、「天皇と摂関家」「天皇と上皇」「天皇と将軍」という形で、「権威」と「権力」がしばしば二重構造をなしてきて、天皇はいつも法秩序から超越した「権威」の象徴として、権力者から利用されてきたからです。
陛下は即位にあたり、「象徴天皇の宣言」において、憲法の規定のもとで、こうした「二重構造には参加しない」と自ら宣したわけです。
そもそも日本の天皇は古来「象徴天皇」だった
二重権力体制のもとで、実際には「権力」を持たず、「権威」だけを行使してきた天皇のあり方は、別の見方をすれば、まさに「象徴天皇」そのものだと理解することもできます。
朝廷が政治の中心だった飛鳥や奈良・平安時代も含めて、自ら政治を行った天皇は実は数えるほどしかいませんでした。
その意味でも、そもそも日本の天皇制は古来、権威と権力の二重構造を本質とする「象徴天皇制」だったのです。このことは、すでに戦後すぐの時期にも有力な学説として唱えられています。
「憲法第一条(国民主権に基づく天皇条項)」による象徴天皇制は、そもそもマッカーサーが、「第九条(戦争 放棄、戦力不所持、交戦権の否認を謳う)」とセットで考案したものでした。
このふたつは切り離し得ない一対のものとして、日本の「戦後」の根幹を規定する両輪であり続けてきました。そして、いまやそれはアメリカからの押しつけなどという段階をはるかに超えた戦後日本の歴史的選択であり、天皇および日本国民の存在根拠と言ってもよいのではないでしょうか。即位の際の憲法を遵守するという天皇のお言葉は、それを裏付けるものです。
憲法を遵守するという今上天皇のお言葉によって、ポスト「昭和」の天皇制はより純粋に二重構造を排する「象徴天皇制」となり、憲法一条と九条が切り離し得ない一対のものである限り、天皇は今後とも「平和(憲法)」の「象徴」であり続けることでしょう。
この国の歴史の始まりとともにあった天皇(制)の歴史を知ることは、日本を知ることにつながります。
天皇の退位等に関する今回の皇室典範特例法の成立で、明治維新後に整った近代天皇制は、制度的に大きな節目を迎えました。
「象徴天皇(制)」の問題は、古くて新しい問題であり、同時に歴史を遡ることによってより明確になる、新しくて古い、いわば「日本史の肝(きも)」と言っていいでしょう。
新聞報道やTVニュースなどでは得られない日本史に関する情報、歴史知識の獲得は、「現在」がいかに「過去」に規定されているかをより深く理解するための必須条件であり、「この国のかたち」(司馬遼太郎)を捉え直すための第一歩なのです。
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