「日本の生産性」は、どうして低すぎるのか D・アトキンソン×伊賀泰代×木下斉が語る
「いまや、銀行窓口を通して行われている顧客対応業務の大半は、コンビニエンスストアに設置されているATM(現金自動預け払い機)でも可能になった。なのに、今も大勢の女性行員を窓口に張り付けている。本来なら、彼女たちの優秀な能力を他に活かせるよう、人員を再配置しなければならない。1979年、米国における男性収入に占める女性収入は69%だったが、昨年にかけて83%まで上昇した。一方、日本の場合、1979年の比率が55%だったのが、昨年は56%で、ほとんど変わっていない。つまり、女性の労働力が正当に評価されていない証拠だ」
問題は「現場」よりも「マネジメント側」にあり
人材コンサルタントの伊賀泰代氏は、工場以外の生産性という前提で、日本企業の生産性の問題は、現場よりもマネジメント側にあると指摘した。
「生産性はある意味、現場の人がきびきび働いているかどうかとは関係のないところで決まる。たとえば、無駄な作業を一所懸命きびきびやっても、あるいは対価が取れないサービスを一所懸命に提供しても、生産性は上がらない。生産性の良しあしは、現場ではなくマネジメントの問題に帰着する。また生産性が低い要因は、労働賃金が安かった時代の成功体験が、そのままマネジメントの考え方に残っていて、稼ぎ方を変えようという意識が希薄だからだ」
生産性は、企業だけの目線ではとらえられない。地方行政にも、さまざまな無駄が隠れている。
エリア・イノベーション・アライアンス代表理事の木下斉氏は次のように話す。「地方は、大勢の人を動かしながら、1銭にもならないことをやっていることが少なくない。夕張市はその典型例で、炭鉱が次々に閉山された後、テーマパークやスキー場の開発などリゾート開発に力を入れたものの、失敗。その揚げ句、粉飾を重ねて財政再建団体になった。また、たとえば全国にある『道の駅』は、約8割が行政の設置。わずかな成果をあげるために、過剰な投資が行われる」と指摘。補助金が入る結果、生産性が低くても、施設の運営が維持されてしまう「地方の構造問題」を指摘した。
税収不足の昨今、本当の意味で生産性を高めなければならないのは、地方公共団体のほうなのかもしれない。
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