かつて私は、アベノミクスの根拠となったプリンストン大学のポール・クルーグマン教授(当時。現在はニューヨーク市立大学大学院センター教授)の「インフレ期待」は日本では通用しないと繰り返し批判していましたが、このシムズ教授の理論は愚かすぎて批判の対象にもなりえないと思っています。
「インフレ期待」は日本と米国の社会・文化・価値観の違いを考慮しないばかりか、大前提として原因と結果を取り違えた理論であったのですが、この「物価水準の財政理論」はそれ以前に、常識を大きく踏み外してしまった理論であることが明らかであるからです。
非常に心配なのは、安倍首相に影響力を持っている浜田内閣官房参与やリフレ派と呼ばれる学者たちが、無節操にも失敗を顧みずに、こういった財政拡張派に転向する動きを見せているということです。このような愚かな経済政策を行うことになれば、マイナス金利の副作用よりはるかに大きな副作用を日本経済にもたらすことになるのは必至でしょう。インフレによる財政再建の本質は、財政危機や財政破綻の類の1つの形態であるということです。財政再建に裏ワザなどないということ、借金は地道に返済しなければならないこと、私は強くこの2点をこれからも訴えていきたいと思います。
独のシュレーダー首相に匹敵する構造改革ができるか
今の日本の政治に求められているのは、かつてドイツのゲアハルト・シュレーダー首相が行ったような構造改革(=成長戦略)です。2000年代前半のドイツは社会保障が手厚いゆえに失業率が10%台に達し、「欧州の病人」と呼ばれていました。そのドイツが1強と呼ばれるほどの経済強国になれたのは、シュレーダー首相が2002~2005年にかけて国民の反対を押し切って構造改革を断行し、ドイツの生産性を引き上げることができたからなのです。そしていまや、アンゲラ・メルケル首相はその功績の恩恵を最大限に享受しているというわけです。
日本の政治が第一にやらなければいけないのは、次世代の安心を担保する「社会保障改革」と、長期的に生産性を高める「成長戦略」を、「構造改革」としてセットで取り組むということです。ところが、小泉純一郎首相以降の歴代首相はこれらの構造改革の先送りを続けてきました。新しい首相が誕生するたびに、それなりの社会保障改革や成長戦略が一応は策定されてはいたのですが、結局は実行されることなく、それらの改革は忘れ去られていく運命にあったのです。
なぜ、そのようなことが繰り返されてきたのでしょうか。それは、たとえ社会保障改革や成長戦略をセットで行うことができたとしても、その成果が目に見える形で表れるには、早くて5年、普通は10年の年月を要することになるからです。政治にとって優先されるのは、成果が出るのがずっと後になる政策ではなくて、目先の選挙で投票してもらえる政策を実行することです。したがって、歴代首相は社会保障改革や成長戦略において総花的な政策を掲げて賛成しているようなそぶりを見せましたが、結局は真剣に取り組もうとはしなかったのです。
国民は本当の政治を求めています。政治が国民に本気で明るい未来を見せたいのであれば、政府が優先してやるべきことは、社会保障改革を断行することで国民に将来の安心感を与えると同時に、その痛みを和らげる成長戦略によって経済成長を下支えしていくことなのです。将来への不安から消費や投資を控える家計や企業は、このままでは日本の社会システムがもたないことをわかっていますが、政治の世界ではそういった危機意識が足らなすぎます。
せっかく与党が衆参両議院で3分の2の議席を占めているのですから、安倍首相は日本の将来のために次の選挙に負けてもいいという思いを持って、一連の構造改革に取り組んでほしいところです。それができれば、安倍首相はシュレーダー首相のように後世に名を残すことができるのではないでしょうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら