「貯金できないと死ぬ」世界は本当に健全か 税金は「みんなの貯金」と捉えよう

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井手:それには僕も同感です。去年、母校の同窓会で講演をしたんです。そのときに宣教師さんと話をしたら、僕の話を褒めてくださったうえで、一言だけ「神は貧しい人を救いなさいと言っています」という話をされた。彼は尊敬すべき先生です。ただ、僕が洗礼を受けなかった理由ってこれなんだな、と感じた。18歳のときのいちばんの悩みはそこだったんです。「誰かが誰かを助ける」ということへの違和感です。人間は人間を助けられるほど強い存在なのかという疑問です。

奥田:うちの教会に来ていたら、洗礼を受けていただろうね(笑)。

井手:かもしれませんね(笑)。

「みんなの利益」から「利益度外視」へ

井手:この前、奥田さんのご友人たちにこう申し上げました。「神が誰かを救済するのではなく、おそらく主はすでにあらゆる人々を救済しておられるのではないか。あとはその救済されている私たちが、どのようにあるべき姿に向かって進んでいくのかを考えるべきなのではないか」と。

信ずる者は救われるということの意味は、信じない人は助けないということ。排除の論理です。そうではなく、すでに救済が約束されたすべての人が、その約束の地へと歩みをすすめるというほうが、僕にはしっくり来る。誰かを救う社会ではないという約束の地への第一歩が、財政がきちんとベーシックな部分を、普遍的な部分をやらなきゃいけないということ。僕の哲学は、若いときの葛藤、悩みから始まっています。財政が基礎をととのえ、そのうえで、NPOやNGOのみなさんがそれぞれの哲学で、それぞれに人間の暮らしをより豊かなものにしていく、そんなイメージです。まさに奥田さんの言う「1階」と「2階」ですね。

僕は「格差是正」や「弱者救済」という言葉の政治的なメッセージ性をはっきり否定しているので、奥田さんみたいな方々から批判を浴びるのではないかと思っていました。でも現場で携わっている人たちのほうがきちんと話を聞いてくださる。目の前にいる人を幸せにしようという地道な取り組みと、社会のシステムを大きく変えていこうという僕の理論はクルマの両輪です。現場にいる人や貧困の最前線に立っている人ほど、このままではもたないことに気づいているのかもしれない。同時に、僕も、目の前のだれも幸せにできずに、理屈ばかりをこねている自分の無力さを感じています。

奥田:「みんなの利益」という井手さんの発想はすばらしいと思います。そういう「1階」を財政が構築する。

一方で「みんなの利益」という言葉さえも超える議論があってよいと思います。失われた時代は、よくも悪くも「利益」が社会や個人を誘導してきたと思います。井手さんは、それをベーシックな事柄、普遍的な事柄にしようと仰っているので、従来の「利益」概念ではないと承知しています。あえて「利益」や「得」という言い方をされているのだと。

しかし、「2階」をどうするかを考えるとき、特にNPOやNGOにかかわってきた人々は、「利益度外視」でやってきた面が少なくない。あるいは「計算していてはできなかった」という面が事実としてあります。確かに、NPO活動を持続するためには「計算」が必要なので、ベーシックな部分の確保が必要です。しかし、それが損得を乗り越えて判断できる人をどう育てていくかという課題につながるかが重要です。これが「2階」の真の意義であり「希望としての2階部分」であると思うのです。財政を基盤に、そんな希望の仕組みを作っていきたいと思っています。

(構成:東洋経済記者 中島 順一郎)

東洋経済新報社 出版局
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