――これまでにない、かなりビッグなイベントを手掛けていますね。
段:私はスタッフの一員にすぎないけれど、それでも特に思うのは、中国人はなんでも上が決めたものを下はただ聞くだけという社会に慣れてしまって、個人の力が何かを変えることができると信じている人はごくわずかだということ。そのため、独りで事を成そうとしている人がどれだけ苦労をしていても、なかなかリスペクトされない。
でも私自身は、徹底した「profeature」の信念を持った「global citizen」です。世界はもっと合理的な未来へ向かうと信じているわ。
私たちのような仕事では、カルチャーギャップが大きいのも事実だけれど、未来の文明社会には国を超えた共通性があると思う。だから私たちが今、手掛けているデザイン展というちょっとした「実験室」を通じて、「享有、共栄、ヒューマニティ」がすべての人に利をもたらすことを、より多くの人が目にすることができたとしたら、この展覧会はとても価値のあるものになると思う。
日本で「HOUSE VISION」を見たとき、そこにはこうした大きなビジョンがあると感じました。日本での反応はどうかわからないけれど、今、中国のいろいろなブランド企業に接触する中では、反応はなかなかよい感じです。
それにしても、こうしたプロジェクトの成功には、必ず山ほどの問題がつきものね。これまでの経験では、中国で何かしようとすると、計画が一つひとつ成功していくことより、思いがけないことで失敗することのほうがずっと多い。いつなんどき、どんな問題でも起こりうる。でも、いつでも可能性はある。それが中国の魅力です。
周:そうそう。海外ではこんなに次々に問題が出たりはしないわね。
中国は「安心」のない社会になってしまう
段:特に中国でグローバルな仕事をするときに大変なのが、「sitting between chairs」ね。カルチャーギャップにぶつかり、そこでどんな取捨選択をするかという問題。ただ、中国が変化していく中で、こうして間に立つ人物が、海外と中国を結ぶ重要な役割を担っていくのだと思う。彼らがいなければ、交流は生まれないし、ビジネスチャンスも実現しない。でも、その苦労がねぎらわれることはあまりない。これぞ中国のグローバルエリートライフよ!
周:わかるわ。日本との仕事でも同じようなことがあるわ。
段:ライフスタイルについて言えば、北京に戻ってからのこの10年で、すいぶん変わったと思う。ポジティヴな言い方をすれば「多元的」になった。でも、カルチャー面でのイノベーションと進歩はどうかしら。
特に80年生まれや90年代生まれの若者は、豊かな時代に育ち、大きな「自由度」を持っていて、なんでも吸収できる。でも彼らは困惑して混乱していると感じるわ。自由なはずのインターネットには、社会の根幹となる健康な価値観がありません。影響力は大きいけれど、整った幹となるものがないの。
一方、アメリカの子供たちにとって「生活の質」の重要な要素といえば、コミュニティへの貢献です。それでおカネを稼いでもいいの。地域のボランティアで1日1ドル稼ぐとかね。でも、そこにはソーシャルイノベーションやコミュニティスピリットがあると思う。
中国にはそんなコミュニティ感はないわ。みなが嘲笑する「和諧」とか「向銭看(オリジナルは『向前看(前向きに進む)』、これを同じ音で『カネのことばかり考えている』という意味の言葉に置き換えた)」といったスローガン以外、社会の主流となる厳格な価値観を育む土壌がない。
この国で「連帯感」といえば家族や身内だけ、そのほかは関係ないという感じ。むしろ、小さいときから「知らない人に注意をしなさい」という教育を受けて育ちます。こんな考え方は、インターネット社会にはふさわしくないわ。このままいったら、中国は「安心感」のない社会になってしまうのじゃないかと思う。
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