小池知事は「築地推し」を続けているが、上記の発言を見てもわかるように「市場関係者」の意向をよく言及する。実際に、2016年4月に「築地市場・有志の会」が約600の水産仲卸業者に行ったアンケートでは、回答した業者の8割以上が「豊洲移転計画の撤回・延期」を求めていたという。
そもそも、新しい土地への移転といった劇的な「変化」に対し、人は抵抗を覚えるものだ。「長らく存在してきたもの」には愛着は持てるし、信頼はできるが、未知のものに対しては、心配と不安を感じやすい。企業においても、新しい制度や改革などに反発が出るケースが多いが、これまで、営々と続けてきた習慣や慣習、暮らしや営みを離れることに感じる人の「痛み」と「恐怖」は相当なものなのだ。
欧米の多くの社会心理学の実験によっても、「長らく存在してきたもの=善」と見なす傾向は顕著に出ている。小池知事はこうした心理を突き、すでにそこに存在し、目に見えている「築地」は「安心」で、まだよくその実態が見えない「豊洲」は「安心ではない」という単純化した図式を見せている。
人は制裁欲求を持つ生き物
3つ目のポイントである「人は『制裁』欲求を持つ生き物」については過去の記事(熊本地震に「不謹慎叩き」が蔓延する真の理由)をお読みいただきたいが、人間はまったく自分が被害者ではないのに、第三者の振る舞いや行動に対し、腹を立てて、制裁を加えようとする「Third party punishment」(非当事者による制裁)といわれる欲求を持っている、といわれる。
小池知事はオリンピックの会場見直しや今回の豊洲問題などを通じて、前任者の行為や決断の問題点や落ち度を洗い出すことに多くの時間を割いてきた。「肥満都市」「もやもや感」「頭の黒いネズミ」……。彼女の繰り出す言葉の数々は、これまでの施策・施政をチクチクと批判し、都民の義憤を駆り立てるレトリックに満ちている。シンプルな勧善懲悪の絵を描き、人々の「制裁欲求」を刺激する。
小池知事は常々、その信条を「共感と大義」であると表現している。人々の本能的欲求に寄り添い、「理より情」にアピールし、わかりやすい「正義」を掲げる――。「小池劇場」のシナリオはある意味、「人は理不尽である」という「理」にかなった戦法といえるのかもしれない。しかし、人の「情」に乗じて、扇動する手法には限界があるし、人々は「安心」をうたいながら、「風評」を作り上げるやり方の欺瞞に気づき始めている。「安全」と「安心」の折り合いをどうつけるのか、今まさにその手腕が問われている。
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