日本初LCCピーチ、「5年間の創業物語」の結末 自由闊達だからこそ、ピーチは生き残った
電車みたいな使い方をしませんか――。気軽に飛行機に乗って欲しいという思いから、ピーチは「空飛ぶ電車」というコンセプトを掲げてきた。
焼き肉を食べるためだけに韓国へ行くOL、美容院に行くために沖縄へ飛ぶ台湾の女性、ピーチ就航後毎月のように石垣島に行くようになった大阪の“おばちゃん”など、「こちらから提案しなくてもお客さんが新しい乗り方を示してくれた」(井上氏)。
業界の異端児は井上氏自身が生み出したといっていい。「アジアの旅客流動を取り込め。LCCを3年以内に立ち上げろ」。2008年、全日本空輸(ANA)に在籍していた同氏にそう命じたのは、故・山元峯生社長(当時)だった。
研究し尽くした結果が「女性狙い」
それから3年間、拠点を香港に移してアジア、そして世界のLCCを研究し尽くした。「既存の航空会社は皆、ビジネスパーソンや旅行客というセグメントを狙う。われわれはそこで勝ち目はない。そこで目を付けたのが女性だった」。
きっかけはNHKが放送していた「東京カワイイTV」という番組。「世界中の女の子が日本の”かわいい”に反応している。これはビジネスにも使える」。ポップカルチャーの発信力に賭けた。
機体の色が独特だ。ピンクっぽくはあるが、厳密には「フーシア」という色。「真っピンクにすると薄っぺらくて、幼稚園のおもちゃみたい。かといって濃い色にすると“夜の世界”になってしまう。まじめに困りましたね」(井上氏)。そしてデザイナーと話しながら見出したのが、この色だった。
就航から5年が経ち、今や国内14路線、国際13路線を飛ばし、年間売上高は500億円超えが間近だ。社員は900人近くまで増えた。
井上氏は「成功など約束されていなかったこの会社に熱い思いできてくれた社員には感謝したい」と語り、ANAHDの片野坂社長も「ピーチの成功は従業員のたぐいまれな頑張りにある。自由闊達で活気があり、楽しさにあふれた現場には驚いた」と明かす。
ANAが設立にかかわったとはいえ、ピーチは航空業界のベンチャーであることに変わりはない。だからこそ「他人と同じ事をやるのはまっぴらごめん、という人たちが集まってくれた」と井上氏は振り返る。
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