金正恩が「身内の粛清」を繰り返す根本原因 父親は3代世襲を望んでいなかった
「権力承継制度の不備」という意味では、かつての韓国もそうだった。1948年に大韓民国が建国されて以来、権力の承継は制度化されていなかったと言っても過言ではない。1987年の民主化以降、大統領選挙は直接選挙となったが、ようやく安定的に承継されるようになったのは1997年の選挙からだと思う。
――確かに韓国の大統領経験者は不遇の晩年となったケースが多い。
初代大統領の李承晩(イ・スンマン)は独裁と強権が過ぎて国民の反対に遭い下野、亡命生活を送った。クーデターで政権を担った朴正煕(パク・チョンヒ)は部下に暗殺された。同じクーデターで大統領になった全斗煥(チョン・ドファン)と、直接選挙で選ばれたものの、軍事政権出身だった盧泰愚(ノ・テウ)は過去の不正腐敗を追及され投獄された。これは、きちんとした承継制度がなく、あってもうまく機能しなかったためだ。
韓国で承継制度がきちんと機能し、本当の意味で選挙が成功裏に行われたのは1997年の大統領選挙だと考える。野党候補だった金大中(キム・デジュン)が当選し、初の政権交代が行われた時になってようやく、承継機能が働いた。
与党候補だった李会昌(イ・フェチャン)は当時、自らの敗北が決まると、金大中にすぐさま当選を祝うメッセージを発表し、花束まで贈るなど、率直に敗北を認めたのは、感動的だった。それまでの韓国であれば、敗れた候補陣営側から「結果を認めない」「選挙のやり直し」などの声が巻き起こり、混乱が生じただろう。繰り返すが、「権力の承継制度の有無」が、その社会の健全な政治的な発展にとって不可欠なのだ。
故・金正日総書記が掲げていた後継者の条件とは?
――とはいえ、金日成、金正日と三代世襲という形で金正恩は安定的に権力を承継したように見える。
実は、故・金正日総書記は自ら引退することなど考えていなかった。世襲のような社会主義から見ても、ほかの常識から見てもおかしいことを自らやるような人物ではなかった。金総書記はかつて、後継者は血統によらないと主張していたことがあった。彼は後継者の条件として、2つのことを挙げていた。まずは首領(金日成)の思想をきちんと理解していること、そして国家にどれだけ貢献しているか、だ。
この2点からすれば、金党委員長はまったく当てはまらない。しかも、学歴を見ても海外の学校に通っており、金総書記は金党委員長を後継者として考えていなかったことがわかる。当初から後継者だと考えていれば、金日成総合大学など国内の教育機関に通わせていただろう。海外に留学していたため、国内に古くからの友人はいない。権力を支えてくれる人たちもいないのだ。
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