「彼氏のほうですか? お好み焼きを差し入れてきたんですよ。病気のときにお好み焼きを食べたいわけないですよね。この人は自分のことしか考えてない!と思いました。その後、彼が他の女と浮気していることが発覚して、これ幸いと別れることに。東京に帰るための交通費も出させましたよ」
差し入れてもらった食べ物にケチをつける。自分も浮気しているのに相手の浮気を責めておカネも要求する。若い頃の話とはいえ、筆者には共感しにくいエピソードだ。しかし、この思い出話を傍らで聞いていた正彦さんは「波乱万丈な人生の匂いがプンプンしますね~」と愉快そうに笑っている。
パートナーである正彦さんが平気ならば問題ない。佳代さんに話を続けてもらおう。
私は家庭に収まらないタイプ
「22歳のときに修との間に子どもができて、結婚することにしました。でも、私は家庭に収まらないタイプです。娘は修に任せてクラブとかに遊びに行っちゃっていました。修とはケンカが絶えません。あるとき彼は実家に帰ってしまいました」
佳代さんも幼い娘を連れて実家に戻った。母親は「あなたに子どもを育てられるわけがない。あなたで失敗したので、今度こそ私がこの子を立派に育てる」と宣言。養子縁組をして、佳代さんの代わりに大切に育てた。その子は現在、富裕層が集まることで有名な私立大学に通っている。
25歳で独身に戻った佳代さん。実家から通えるコールセンターでアルバイトを始めた。そこで親しくなったのが、近くの国立大学に通っていた正彦さんだ。当時は、地味で真面目な学生だったという。
「私は童貞しか好きになりません。誰かの手で汚れているのは嫌。私は嫉妬深いんです。私自身はコギャルみたいな格好をしていましたが、チャラチャラした茶髪男は大嫌いでした」
佳代さんは正彦さんに「女の子との手のつなぎ方」を実地レッスンするなどのちょっかいをかけた。女性経験は皆無だが面白いことが大好きな正彦さんは、すぐに陥落。飲み会の席で「佳代さま。僕と付き合ってください」と立候補した。佳代さんは上から目線で「いいよ」と許可。すぐに正彦さんの部屋で同棲を始めた。
「生活費もデート代も全部、正彦に出してもらいました。それが愛情のバロメーターだと思っているので、自分の財布は出しません。もちろん、彼は学生なんだからデートはファミレスでいいんです。自分の財力に合わせて愛する私を養ってほしい。ケンカもしましたよ。正彦は本当に野暮だったので、私が髪を切っても気づかないし、海で水着姿になっても褒めない。本気で怒っていました」
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