文京区は、全国で一番「官能的な街」だった 坂や階段だらけでも「歩いて楽しい街」の理由
三浦:今、バリアフリーじゃなくて“バリアアリー“のほうが脳の活性化につながっていいんだという説があって、一部のデイサービス施設には取り入れられている。
やっぱり都市計画でも、いざとなったらバリアフリーだけど、日頃は歩いて楽しい不便さがあるバリアアリーというのがいいかもしれないね。
いわゆる木造密集地域も、全部更地にして高層ビルを建てるのではなくて、耐火性、防災性を高めつつ、味がある部分を残した街として再生することができると思う。今の30代以下の建築家や都市計画の立案者はこういうことを考えていると思うんだけど、なかなか実現するチャンスが巡ってこないね。
島原:そうそう、官能都市ランキングを出したあと、タワマン街をバンバンつくっているような大手のデベロッパーさんとか、設計事務所の方が高い評価をしてくれたのがちょっと意外でした。
つまり彼らは、学生時代に建築を学び、都市計画を学び、自分なりの都市の面白さ、建物の面白さをよくわかってはいると思うんですけれども、いざ仕事をしようとすると、同じような建物しか建てられない。
三浦:そうなんだよね。住宅とか建築の業界って、マーケティングが遅れているから、工夫する段階が来るのはこれから。
オリンピックまでは、イケイケドンドンでいろいろつくるんだろうけど、それが終わって、ふと気づくと、郊外が空っぽになってきて、もう一度郊外に何か金を回そうという動きになるんじゃないかと思います。
そこで、「じゃあ、郊外にどんどん高層ビルをつくればいいじゃないか」という話にはならないと信じている。そこで初めて、官能的な住宅地が計画的につくられていくのではないかな。
「私はここに住んでいる」という実感
島原:文京区の評価で「歩ける」のほかにもう1つ評価が高かったのが、「共同体に帰属している」という指標。4つの項目のうち1つは、神社やお寺にお参りをしたとか、近所の飲み屋で、店主や常連客と盛り上がったとか、それから買い物で雑談したとか、そんな指標が入っています。
文京区は、お寺が非常に多いし、祠(ほこら)みたいなものが坂の上にポッと置いてあったりします。お寺にしても、日常的に通行路として使いながら、ふと手を合わせたりしている。京都の観光地のように入場料を払って入る、というものではなくて、生活に密着した存在として、文京区のお寺、神社が使われている。
買い物をするにしても、商店街で「おばさん、コロッケ」なんて言えてしまうし、飲み屋も、店主や客との距離が近い、カウンターだけの小さなお店が多い。こうした点が、この調査でいうところの共同体があるということですね。自分は本郷の人間だ、湯島の人間だといったふうに、“ここに住んでいる”という意識が芽生える。つまり、自分の中のアイデンティティの1つに、自分が住んでる街があるということです。
ぼくは昔、賃貸住宅の選び方に関する調査をしたことがありますが、ほとんどの日本人はそこに住んでいることが自分のアイデンティティになっていない。住む街を選ぶ基準は、職場や学校に通ううえでの利便性と家賃。加えて築年数。
つまり、「この街がいいからここに住んでいる」というよりは、「この街が便利」「この沿線が便利だが、この駅はちょっと高いから、もう少し安いところに行きましょう。このへんだったら私でも借りられる」という借り方がすごく多いんですよね。
三浦:今の若者はもう、ファッションや腕時計、車で自分を表現しないじゃない。でも、住む街で表現をし始めているような気がする。つまり、まだまだスペックで選んでいる人が大半だけれども、やっぱりちょっと変わってきてるんじゃないかな。
街で自分を表現するような、自分の価値観で、あるところを選ぶ。つまり、「なりたい自分になれる街を選びたい」という風になっていくと思います。
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