「町内会」の担い手がますます減りそうな理由 行政の仕事や責任が安上がりに「下請け」に

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それを読むと、「介護、子育て、障害、病気等にとどまらず、住まい、就労を含む役割を持てる場の確保、教育、家計、そして孤立など、いわば『くらし』と『しごと』の全般」を「地域の課題」ととらえ、「他人事」ではなく「我が事」として考えて、地域の住民が主体になってそれらの課題を解決する「地域力」を高めていくことがうたわれています。

「支え手側と受け手側に分かれるのではなく、誰もが役割を持ち、活躍できる社会」を目指すとされています。そして「地域には今まで存在しながら光が当たらなかった宝(「知恵」「人材」「資源」)があることに気づき、それを最大限引き出」した経験が強調されています。

これはどういう意味でしょうか。

生活に困っている家があったら、それを住民ががんばって解決できる力を地域で育てよう。住民の中で、ときには支えられたり、ときには支えたりしてください。「予算がない」「人がいない」と嘆くんじゃなくて地域の中をよーく探してください……そんなふうに「説教」されているようにも読めます。

ちなみに、その中で行政の責任はどうなっているのでしょうか。

結局「安上がり」のサービスにならないか

まず自治体です。

報告を読むと、こうした課題解決や相談のための地域団体やヒトのネットワークといった「体制」をつくることに「最終的な責任を持つ」とされています。あわせて、その体制に関係する人たちが「共通認識を持てるような働きかけをすること」を求めています。

国はどうでしょうか。

国がすべき仕事について書かれたところを読むと、「なぜそのような機能が必要なのか、各自治体で丁寧に話し合うような支援をしていくことが必要」とあります。これだけなのか、と不安になります。

予算、つまりカネはだしてくれるのでしょうか。「財源のあり方についても、具体的に検討を進めるべきである」としかなく、具体的なのは「寄附文化の醸成について」という章立てだけです。

これでは、“住民団体や住民の中にいる人材を組み合わせて、どうしたらいいか話し合わせるのが自治体の仕事” “国はハッパをかけるだけ” “カネは寄付頼み”……そんなふうに読めてしまいます。

この報告の「終わりに」のところには、読んだ人の不安を見透かしたかのように、「『我が事』の地域づくりは、決して地域住民に解決のすべてを委ねることではない」と強調していますが、逆に言えば、「そう読めてしまう」からわざわざ払拭に努めているわけです。

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